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2010年04月02日(金) 希望の船
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新年度となりましたが。どうですか?

どうですか?って、人ごとみたいに聞いたのは、自分にとって年度が改まるって言うことが、いつもいつも毎年あんまり実感できないからです。

なんかさ、しっかりとした組織に属していて、ああ、今年も新入社員がなあ、とか、新しい部署で覚えることいっぱいで、とかさ、

全くないですもんね。

ああ、さくらさいてんなあ?ぐらいですもの。

今年は、ツイッターやってるおかげで世の中の新年度さ加減が伝わって来て皆さんのフレッシュな感じが、わかったような気になってます。

それで、少し前になりますが、

私、大分県にあります別府中央小学校という小学校の卒業式に行って参りました。

この小学校が去年スタートした時に、新しい校歌を僕に作らせてもらったのです。

僕はこの校歌を作るとき、最初の卒業生が旅立ってゆく時、体育館で歌っているシーンを思い浮かべながら、その卒業式に最も似合うようにと心がけて作りました。

ですから、その瞬間を是非とも見たくて無理を言ってこの卒業式に呼んでもらったのでした。

生徒たちが、どんな顔して歌うのか楽しみでもあり、2つの小学校が合併して一年目の、きっとその過程で色んなことがあったに違いない6年生たちが、この歌を愛着を持って歌ってくれるだろうか、

という不安もありました。

実際、去年いただいた音楽の藤本先生のお手紙には、去年の開校式にあたってこの校歌を練習して行く過程で、生徒たちの間から「昔の校歌の方がいい」という意見が多く見られたそうです。

そりゃそうですよね。小さいときから何年も歌って来たんだから。

でも、なんていうか、だからこそ、自分の作る校歌が、少しづつ生徒の胸の内に自分の学校の校歌なんだという実感が育って行くのを目にしたかったんです。

1/6の夢旅人2002 を作ったときも、「前の曲の方が好きです」と、よく言われたもんなあ。そんなことばっかりやってんな俺。

閑話休題

生憎の雨模様となった肌寒い当日の朝、体育館の壇上には大きく、「希望の船」という文字と,帆船の飾り付けがしつらえられていた。

一年目の卒業式のテーマを「希望の船」としてくれた。

作った校歌の中に出てくる歌詞だ。

最初にこの学校を訪れた時、校舎の窓を開けると真下が海だった。

海辺の学校は数あれど、ここまで校舎が海に隣接している学校もめずらしいな、よっぽどこの別府湾は、穏やかな優しい海なんだなあと思った。

空港からホバークラフト走ってたくらいですもんね。

それで、この学校そのものが、港に停泊してる巨大な客船みたいに思えて来て、そのイメージを「平和の海に漕ぎ出してゆく希望の船」というふうにふくらませた。

先生方が前もって、生徒から校歌に入れて欲しい言葉を募集していてくれて、その最初に書いてあったのが「平和」という言葉だった。

ふたつの学校がひとつになるという、期待と不安・・・不安の方が多いだろうな。

そんな気持ちが求めた言葉だったのかも知れません。

来賓席におとなしく座っていると、音楽とともに、6年生が入ってきた。

総勢49名。みんな真剣な面持ちだ。そして順番に席についてゆく。

ぼくの席に一番近い所に座った男子生徒。決然とした顔をして一心に正面を見つめている。

6年生になると、こんな表情見せるようになるんだ。

その横顔に、自分の息子の将来が重なってゆく。いつかこんな大人びたいっちょまえな顔して席に並ぶんだろうな。

決して多いとは言えない卒業生に、校長先生の式辞の中で、ヘレンケラーの言葉が贈られる。

「希望は人を成功に導く信仰である。希望がなければ何事も成就することはない」

生徒の胸で、ほんとうにこの言葉が輝き出すのはもっと後かもしれない。ずっと胸に留めておいて欲しい言葉だ。

式も後半に差し掛かって、普通ならば卒業生代表の答辞がある所で、いきなり卒業生全員が壇上前に用意されていたひな壇に上がった。在校生父兄と向き合う形で整列する。

題して「別れの言葉」。

卒業生全員が、台詞を少しづつ分担して、順不同でランダムに言葉を連ねて行く。

どこかの劇場で、現代劇を見ているようだった。少ない人数だからこそやれる演出だ。相当練習を積んだに違いない。

一年生で入学した当時の初々しい気持ちから、順番に2年生、3年生、4年生と、思い出が綴られて行く。

聴いているうちにはっと気がつく。この49人の卒業生は、全員で同じ思い出を共有しているわけじゃない。半分は全く別の場所で5年生までの思い出を築いてきたんだ。

そして、話は、6年生へとさしかかる。

〜自分たちのいた学校が無くなってしまうことになった。さびしかった。悲しかった。いやだった〜

生徒たちの口から、一言一言、自分たちの偽らざる気持ちが述べられてゆく。

〜新しい学校は中央小学校という名前だった。新しい校歌ができた〜

いつの間にか、生徒の1人がピアノの前に座って、イントロを弾きはじめた。

学び舎は平和の船だ
優しい海風 帆に受けて進む
この海から世界のみんなに広げよう
願いを込めて歌ってゆこう
平和の歌 高らかに

ふるさとは愛する船だ
緑に萌えたつ鶴見の山肌
この思いを世界の誰かに伝えよう
愛は心に育てゆく花
差しのべた手のひらに咲く

一年前、開校式で歌ってくれた時からすると、すごく力強く、たくましい歌声になってくれた。きっと、最初は合併して新しい仲間との間で様々な戸惑いや問題があって、そしてそれが少しづつ無くなっていくにしたがって、この校歌が段々と彼ら自身のものになって行ったんだろう。

間奏を挟み、3番にさしかかる。

この星は夢見る船だ
友と語り合う笑顔は青空
この笑顔で世界の仲間とつながろう
夢が呼んでる水平線に
漕ぎ出そう遥かな未来

希望の船 別府中央小学校

3番で全校生徒たちの声のボリュームが際立って大きくなった。

開校式の時、藤本先生も、「3番になると、なぜかみんなすごく元気がよくなるんです。3番歌いたいっていう生徒が多いんですよ。」とおっしゃっていた。

生徒たちなりに、新しい仲間とこれから楽しく仲良くやって行こうっていう決意みたいなものが自然と歌に表現されたんじゃないんだろうか。

学校は、できれば変わらずに無くならずに、6年間同じ仲間でいれればそれに越したことはないのかもしれない。

でも、2つの学校が一つになって、環境の変化や、見知らぬ他者を受け入れ、仲間としてまとまって行くっていう経験をしたことは、きっと将来彼らの人生に役立つと思う。

彼らが大人になって、この一年間のことを振り返った時、この校歌が、その悲喜こもごもな思い出に寄り添う役割を担ってくれればなとつくづく思った。

別れの言葉は、その後も続いた。

全部で4曲が歌われ、最後の「旅立ちの日に」では、泣いている生徒も多くいた。この時期の6年間。心も身体も大きく変化する6年間。忘れられないよね。

別府中央小学校、第一期卒業生のみなさん。おめでとうございました。今日のこの日の「希望」を忘れずに、まだ見ぬ海原へと漕ぎ出して行って下さい。

開校式の時1年生だった生徒が、6年間をこの学校で過ごして、卒業する時、ぼくの校歌はどんな歌声になってくれているのだろうか。

そんなことを考えて、学校を後にした。

今日の一曲
心の色


2010年04月03日(土) 馬車につながれた馬
もう12時を回ってしまいましたが、昨日、4月2日はフランシスコ・カンディド・シャビエルの誕生日でした。

生誕100周年だそう。

ブラジルのみなさんは、シッコ・シャビエルと親しみを込めて呼ぶ。

知らないでしょ?知らないよね。

ぼくはブラジル行ったことないですけど、ブラジルでは知らない人はおそらくいないだろうというぐらいの人です。誰もが知ってる自動書記霊媒。

他界されたのが、2002年の6月30日。92才でした。この日に逝くことを前もって告げていたのだそうです。

「私は、ブラジル国民が歓喜の中にいる時に、この世を去りたい。」と。


そう。その日は、横浜で行われたワールドカップの決勝で、ブラジルがドイツを破り優勝した日だったんです。

そして予言どおり、その日に彼は自らの役目を終えて、帰還しました。

http://www.spiritism.jp/jpn/jpnovo.html

おなじみ、「手紙」の訳者、角智織さんのやってるスピリティズムのページ。ここの最新記事の、タグをクリックすると、シッコの詳しいバイオグラフィーがでてきます。長いですけど、是非読んでいただきたい。

自動書記っていうのは、霊の働きかけにより、霊が伝えたいメッセージを霊媒の意志とは無関係に手が動いて紙に書き留められて行く現象のことを言います。

シッコシャビエルが、自動書記によって出版した本の数は、350冊以上。3万ページを超える量。
発行部数は9百50万部にも及びます。媒介した霊、つまり見えざる作者の数は400人を超えるそうです。

その文章の終わりには、生前著名な作家や、詩人、医師、その他大勢の様々な人たちのサインが書かれました。

そして、その出版物の印税を受け取ることは一切なく、「私は本の作者ではない。作者は霊たちです。私は馬車につながれた馬に過ぎません。馬を操る人達は現れないのです。」という言葉どおり、別の仕事を持ち、慎ましい生活を生涯貫き通しました。

ブラジルのウベラーバという田舎の街で、国内各地から訪れる多くの貧困に喘ぐ人、精神的に追いつめられた人に慰安とメッセージを与えたり、病を抱えた人には、ベゼーハ・デ・メネーゼスという霊医からの処方箋を書いたりするのが日常だったそうです。もちろん全て無料で。

角さんが長年続けている東京都心のホームレスの人達の支援活動の時配るメッセージも多くが、このシッコシャビエルが霊から受けたメッセージです。

ノーベル平和賞の候補にもなった人らしいんですが、角さんの主催するスピリティズムのセントロの正式名称に、「フランシスコ・カンディド・シャビエル」の名前が謳ってあります。

角さんが、このスピリティズムの活動を始めるに当たって、このシッコシャビエルの存在が大きく関わっているからです。

もともと角さんは、霊的な世界にとくに興味があったわけでもなく、「信じたい人が信じればいい、自分は特にどっちとも言えない。」ってタイプの人でした。そうですよね?

それが、話を聞くだにすごい。強く導かれてるとしか思えない、不思議という言葉では足りないような特別な経緯でシッコによってスピリティズムの世界に引き込まれ、以来17年に渡ってこの活動をされています。

これ、すごく書きたいんだけど。書けない。プライベートなことだから。書いていいって言ってもらったら書きます(笑)。

考えてみれば、角さんがシッコに導かれスピリティズムの活動を始めていなければ、僕も、彼と知り合うこともなかっただろうし、そうでなかったら、「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」という曲も生まれていない。だとすれば、今共にポストマンとしてがんばっているスタッフに出会うこともなかっただろうし、ポストマンライブを通じて出会った多くの人達と思いを分かち合うこともなかったってことになる。

シッコシャビエルという人の存在が、僕も含めた、「手紙」に共感してくれた多くの日本の人達に深く関わっている気がしてきます。

もしかしたらこれは、シッコシャビエルがくれた手紙なのかも知れません。

今年ブラジルでは生誕100年を記念して、彼の映画が作られるそうです。

いまも、国民から尊敬され続けている、自らを「馬車につながれた馬」と称した2つの世界の媒介者。シッコシャピエルへ感謝と敬意を込めて、最後に彼の受けたメッセージの中でも僕が最も好きなものを紹介します。

エマヌエルと言う、彼の指導霊からのものです。今思えば、「よろこびのうた」の着想の源泉はこのメッセージにあったのかもしれません。

確実な支え

あなたの希望が全く消え失せてしまっても
影にさえぎられてしまうことで
負けてしまわないで下さい。
できる限りの善を行い、前に進んで下さい。
闇の中を手探りで進めば、石やとげで傷つくこともあるでしょう。
しかし、平静と勇気を持ち続けて下さい。
なぜなら、あなたの前進に抵抗する力とは、あなたが勝ち得た謙虚さと忍耐を計るための要素であるからです。
苦しみながらも、仕え、進んで下さい。
あなたを守るこの世のあらゆる手段が失敗に終わったとしても、
あなたに確実な支えである神がついてくれていることを忘れないで下さい。

                    今日の一曲 手紙〜親愛なる子供たちへ〜

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