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2009年04月07日(火) ポストマンはつづく
相変わらず、ポストマンの日々は続いております。

ちょっと遅くなってしまいましたが、先月29日に、横浜白楽で、第7回目のポストマンライブを終えました。

この日記でも以前紹介した、珈琲文明。かふぇ。

http://cafebunmei.exblog.jp/i3/

このマスターの日記をさかのぼると、その模様が載ってます。私が22ぐらいの頃の写真が見れます。

テイチク倉橋さんのポストマンライブ日記で、もうそこら辺の事情は知ってるぜって言う方。

そうです、この店は、私の大学時代の後輩がやっておる店でございました。

おじゃ丸という男。AB型。

サポートギターの忠太郎とは同期、同バンド。

今回、昔の知り合いなんでって言うコネクションを頼ったものではいっさいなく、おじゃ丸は、私との関係を伏せたまま、この企画に対する思いをホームページに寄せてくれて、そして選ばれ実現に至ったわけでございます。

この店、新井満さんお気に入りだそうで、またまた不思議な縁を感じる。

場所がまた出来過ぎなぐらいの所にある。

仲見世商店街って言う、京都で言えば木屋町通りぐらいの狭さの隠れ家的な裏路地の途中にあって、明治時代の雰囲気を醸し出している。

なんか、丹前着た小説家が、原稿用紙に万年筆走らせてるような、そんな感じの。

全体が焦げ茶色と漆喰的なあたたかな白と、天井の青空で構成された、落ち着いたたたずまいの。

居心地よさ一直線な感じの店。

奥様が作ってくれたポストマンライブのチラシがそんな店の窓や、入り口に貼られていた。

おじゃ丸としては、「手紙』に共感してくれたのは言うまでもないけど、樋口了一という歌い手をもっと知って欲しいという気持ちで、このライブに応募してくれた。この店の常連客の皆さんに直接口頭で伝えてくれていたらしい。

そんな地道なサポートのおかげで、本番が始まる頃は、店は満員になった。

店の雰囲気もさっき書いたように、いつの時代か分からないような、ちょっとだけ現実感が薄れそうな空間で、窓の外に見える商店群も、屋根のあるアーケードでかつ、道幅が狭く、迫っている。

何か、NHKの朝の連ドラのスタジオのセットの中にいるような感覚におそわれる。

よくあるでしょ?主人公の近所の仲間が集まる拠点のような店がさ。

歌う僕も演者ならば、聴いてくれてる人も演者のような。

ABマジックだ。おじゃ丸の。

マイクもいらないんじゃないかってぐらいの響きのいいハコで、ギターの忠ちゃんと二人で、のびのびと、手紙を届けさせてもらいました。

こういう時って言うのは、色んな巡り合わせがあるんです。

偶然通りかかられた介護施設で勤務されている方が、お客さんの中にいた。

人手不足で、気持ちが萎えているときだったそうで。

気持ちをリセットできたと言っていただいた。

この言葉が薬となって聴く人の心で作用するのをまた目にすることができた。こちらこそありがとう。

久しぶりに3人そろったんだしというわけで、僕と、おじゃ丸と、忠ちゃんで、一曲やろうという話になり、やりました「ニューヨークの想い」ビリージョエル。

今思えば、この曲この店にぴったりだな、なんか。

昔ゲストという形で、おじゃ丸の代のバンドに出て、男二人で汗臭いデュエットとかやった記憶がよみがえった。レイチャールズ。

単位なかったなあ。お金なかったなあ。時間だけはタップリあったなあ。

あの頃の未来に僕らは立っているのかなあ?

あの頃の未来じゃなくってもいいんじゃないか?

ここから作って行こうぜ。

おじゃ丸。ありがとう。珈琲もちろん最高だった。

コーヒー豆の香りが漂う中、1/6のコール&レスポンスが轟き渡りました。

http://www.coffeebunmei.com/

皆さん是非一度。

今日の一曲
黒い鷲 谷村新司






2009年04月09日(木) 天草の小学校の先生からのメール
が来たんですが、これ、僕の高校時代の同級生。一緒に映画作ってた。監督。

アイデアと行動力の AB型。第二弾。

本人の許可を得て紹介します。

切通です。
このアドレスでまだ大丈夫なのかすこし心配ですが

「手紙」遅ればせながら今年になってCDを買って聞きました。
2度泣きました。こういう曲を出すために君が音楽を続けてきた
理由の一つがあるのだと思いました。

さて、その曲を受け取り、自分の中でこれを劇化できないかという
思いが強くなりました。現在まだ、結婚当時の小学校にいますが
教務主任という立場になり学級担任をしていませんが、去年も6年生
とコラボして「葉っぱのフレディ」を劇化しましたので。


まず、授業を一時間もらい、「年をとるとどうなる?」ということで
気づいたことをどんどん出させました。「足腰が弱くなる」「同じことを
繰り返す」「おしっこの失敗」等自然な形でたくさん出てきました。今度は
それをタイトル「年をとるとどうなる?」を消してこのことは別のタイトルを
つけるとしたらと考えさせたところ、気づく子どもが出てきて「赤ちゃんや
小さい子どもにあてはまる」とみんなで共有することができました。
その中で、多くの子どもが自分もじいちゃんが同じはなしをすると無視する等の
小さな痛みが出されました。授業の最後にCDを聞かせて、この曲を元に学習発
表会でパフォーマンスをしようという提案をしました。

クラスとして提案を受け入れたので、全員に「自分が生まれたときの
家族の喜びや赤ちゃんの頃のエピソード家族の心配」等の聞き取り調査を
させました。
それらを元に、一応のシナリオを作り、昨日配布して配役希望をとりました。
3月1日(日)が学習発表会なので、もう2週間を切っていますが相変わらずの
突貫工事です。
一応20分という枠の中ですが、6年だから多少オーバーしてもと思い、最後は
全員(といっても24人ですが)でフルコーラス歌う予定です。

樋口から受け取った「手紙」の魂を次の世代に渡すよ。という報告でした。
アドレスが心配ですが、大丈夫だったら次はみんなの近況とか報告するね。

                             切通努


「年を取るとどうなる?」で、意見を募り、今度は「年を取るとどうなる?」というタイトルを消す。

すると、今まで出し合った、言葉だけが残される。

それにみんなで別のタイトルを付ける。

秀逸なアイデアだ。大人が上から説明するのではなく、自分たちで答えを出す。自ら気づかせる。

この手紙という曲の言葉、小学生にどう受け取られたのか?

果たして、劇はうまくいったのか?

今日の一曲
孫 大泉逸郎





2009年04月11日(土) 熊本弁の手紙
で、3月1日の発表会の模様を、後日DVDで送ってもらった。

1年生から6年生までの出し物があり、最後に「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」という演目があった。


この曲の中で語られる様々なエピソード、

同じ話を何度も何度もくりかえしても・・・

あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本の結末は・・・

様々な理由をつけていやがるあなたとお風呂に入った懐かしい日のこと・・・

これらが、ひとつひとつ、生徒たちによって、舞台上で描かれてゆく。

設定は、親と子から、おじいちゃんと孫に変えられていた。


主人公の生徒が今のおじいちゃんを疎ましく思っていて、それに対してお母さんが、その生徒が誕生したときどんなにおじいちゃんが喜んだか、成長して行く過程でどれだけ世話になったか、愛情を注いでもらったかを、エピソードを交えながらさとしてゆく。


これらのエピソードが、生徒たちの熊本弁で再現されてゆく。

ちょっと油断していた。熊本弁がこんなに自分の心にくるとは思わなかった。


自分が子供の頃にしゃべっていた言葉で描かれる家族の風景は、僕をそのまま熊本の子供時代へと連れて行った。

セリフははっきり言って棒読みに近い。

その無防備さが、どんな名優の演技も及ばないリアルな世界を醸し出していた。

熊本弁とともにパッケージングされていた胸の中にしまってあった遠い思い出。

これらが解凍されて、胸の中にあふれて来た。

ふるさとの言葉ってなんでこんなにうれしくてはずかしくてお日様いっぱいな感じなんだろう。



そして、最後に、祖父母から主人公の生徒に宛てた手紙の封が切られると同時に登場人物が全て集まり、曲のイントロが流れ始める。

一人一人の生徒が生まれた時の写真に、生徒の手書きの歌詞が書かれたものが、フレーズごとに切り替わりスクリーンに映し出される。

生徒たちは、歌詞を全部覚えていた。

淡々と進んで行くあの曲を、ちゃんと自分の声で歌ってくれていた。

クラス全員の発表会を終えての感想文も送ってもらった中に、自分たちが歌っていると、お母さんお父さんが泣いているのが見えたと書いてあった。

なぜ泣いているのか、生徒たちは分かっただろうか?

僕は、ちゃんと分かったと思う。

自分たちが、見に来てくれた人たちに何かを伝えたという実感がしっかりとあったと思う。

生徒たちは、自分たちの演技で涙を流す親の顔を一生忘れないだろう。

これから、未来のどこかで、その顔を思い出す時がきっと来るだろう。



切通監督作品の特質は、高校時代から変わらない。

ジャブのようなギャグが、前半の随所にちりばめられる。

そしてこれが最後に効いてくる。

もうひとつは登場した人を一人残らず平等に主人公として扱う。

「神の視点」演出と呼ばれていた。

両方とも健在だった。

中南小学校の6年生・・・じゃなくて中学一年生になったみんな。

こころからありがとう。

未来へ!!

今日の一曲
博多ッ子純情  チューリップ


2009年04月16日(木) 久しぶりに
明日から,東北ツアーにいって来ます。

18日、秋田 19日 仙台で、ライブです。

詳しいことは,スケジュールを見て下さい。

是非ご来場を!!

今日の一曲
桜の花舞い上がる道を エレファントカシマシ

2009年04月25日(土) 東北
20090425125329.jpg 320×240 19K
秋田仙台、ツアー無事終わりまして,きていただいた方々どうもありがとうございました。

秋田では80才の女性が,お孫さんと見えられました。

そのほか、初めてのお客さんが,たくさん見えられました。

常連さんと相まって,素敵な空気が生まれました。

本番前に,さとけんに連れられてみた、竿燈祭りの実演。静かにみなぎる力。しなう竹竿,揺れる提灯。

おめでたい時って,バランスとろうとするんだな人って。うまくとれますようにとの神への願いを込めて。

染之助然り、出初め式然り。

必ず受けるからと,秋田県人さとけんの勧めもあって、祭りの提灯もって登場したら。

うけた。地元の助言は,聞いた方がいい。写真は,さとけんのご両親にいただいた、おみやげ。

仙台はいつものバックページ。

ピアノが新しくなってた。スタンウェイ!!

ピアノの山本君大喜び。

それで、ギターの忠太郎の十八番。所ジョージシリーズ。

レパートリーの中に「西武園恋歌」という曲がある。

もちろん「青葉城恋歌」のパロディ。愛を込めた。

これを,宮城の皆さんに是非聞いて欲しかった。ちょっと怖かったけど。

結果は、愛のある方向に転んでくれた。

他の場所でやっても、もちろん受けるんだけど、やっぱりご当地ソング、仙台の皆さんの心に元歌の歌詞の一行一行が,刻まれている。

よって,フレーズごとに笑いが起きる。どんな風にパロッたかが逐一わかるから。

こんな所にも,郷土愛が見え隠れする。

と,美しくまとめてごめんなさい。またやります。歌詞に不適切な部分がありましたこと少しお詫びします。

ここで本当に美しいはなし。

今回大分からリハの時間が取れなくて、宮城県にある栗原田園鉄道のことを歌った歌,「ウインディトレイン」を合わせることができなかった。

カラオケでやろうかしらと思っていたら、

「それじゃつまんないから」と,忠太郎。

秋田から,仙台までの夜ばしりの車の中で、コピーしてくれた。

次の日,広瀬川の河原で練習して、そのまま本番へ。

そのことを話したら、メンバーのふたりに対して拍手が起きた。

山根君も、なんとかする男だったし。

サポートメンバーに恵まれております。

もちろん、「手紙」もしっかりと皆さん一人一人の心に届けることができました。

受け取ってくれてありがとう。

また来ますね。

また来てね。

今日の一曲
青葉城恋歌 


2009年04月28日(火) 第29回定例ライブ
20090428124944.jpg 320×240 66K
が、無事終了致しました。

来ていただいたたくさんの方々に感謝致します。

テレビカメラが回ってましたね。7年もやってると色んなことがあるもんです。

お客さんも僕もそんなことは気にせず、いつものようにやらせていただきました。ありがとう。

春をテーマにした曲を数多くやらせていただきました。

そしたら自然と「巡りゆく命」についての歌特集になってしまいました。

僕にとって、春って言うのは陽気にうかれるというより、命の力強さに心惹かれる季節なんだと思います。

このばしょで初めて「手紙」をやってから、1年2ヶ月が経ちました。

その間にこの曲を通じて、色んな人に出会い、その心に触れて来ました。

そもそもが、僕が角さんの訳したスピリティズムの本に共感してメールをだすことがなかったら、この曲は存在していない。

僕じゃなくても、誰かが曲にしたかも知れないですけど。

全ては出会いから始まってる。

で、思い出したんですよ、「手紙」が最初じゃなかったなって。角さんと曲仕上げたの。

「わたげ」って曲がありまして、これ、ブラジルのアマゾンで、スピリティズムのセントロを主催してるセルジオって言うブラジル人が教えてくれた曲なんですね。

写真参照。角さんの左のブラジル代表。

センター って言うのを、ポルトガル語にすると「セントロ」。

ブラジル人がやっているスピリティズムのセントロって、世界中にあって、そこで様々な社会支援活動をやったりしてる。

ブラジルでは、ホームレスというより、家庭にも深刻な貧困問題が存在し、子供たちの食料が手に入らないという現状がある。

セルジオに見せてもらった忘れられない映像がある。

2歳になるかならないかぐらいの裸同然の子供が、配給されたパンを右手にもって食べている。

そして、その反対の手には、大きなキャンディーが握られている。

その子は、キャンディーに目もくれることなく、必死でパンにかぶりついている。

僕らは、子供がお菓子を食べ過ぎて、ご飯が食べられなくなったりするとしかりますよね。「もうおやつなしにするよ」って。

子供って言うのは何を差し置いてもまずお菓子を欲しがるもの。

その常識が、どれだけ豊かさに支えられているものなのかって言うこと。

この映像の子に、まずキャンディーに食らいつくという子供らしい無邪気なふるまいを許さない社会の現状が、痛いくらいに突き刺さった。

セルジオのセントロでは、このような家庭を支援する活動をやる前に、この「わたげ」を歌うそうなんです。原題 A PLUMA

セルジオの友達が作ったこの曲、角さんにまず訳してもらい、それを、僕がメロディーに合うように、リライトし、出来上がったのが「わたげ」。

「手紙」の前身のような曲です。

ライブをやった26日が丁度、月の最後の日曜日。角さんのセントロのホームレス支援のおにぎり配りの日だった。

まさに活動をしてる真っ最中の時間帯に、アンコールでお客さんみんなとこの曲を歌った。


WATAGE


遠いとこから 森の中から
やさしい綿毛は 宙を舞い
こっそりそっと 種を運ぶよ
自然はちゃんと知っているよ
神様がくれた仕事だと

ラララ ヤ〜ラ〜 ヤ〜ラ〜
ラララ ヤ〜ラ〜 ヤ〜ラ〜

風に吹かれて 野原を抜けて
実りあふれる 倉を過ぎて
パンを持たない 笑顔忘れた
子供たち見つけたらすぐに
喜び運ぶよまっすぐに

ラララ ヤ〜ラ〜 ヤ〜ラ〜
ラララ ヤ〜ラ〜 ヤ〜ラ〜

町を飛び越え 表通りへ
高い建物通り過ぎて
そこで一番貧しい家の
小さな庭へと舞い降りる
幸せの種そこに植える

ラララ ヤ〜ラ〜 ヤ〜ラ〜
ラララ ヤ〜ラ〜 ヤ〜ラ〜

雨降りそそぎ 太陽が照り
やさしい庭師がかわいがり
種は立派な木へと育った
学校のとなり木陰できた
子供たちはそこで遊んだ

ラララ ヤ〜ラ〜 ヤ〜ラ〜
ラララ ヤ〜ラ〜 ヤ〜ラ〜

綿毛のように 生きていこう
君の全てで愛を築こう
人は必ず神に目覚め
いつかきっと 居場所見つける
愛の仕事の仲間になる



曲が聴いてみたいって方は、

http://www.spiritism.jp/jpn/jpnovo.html

の左側の、ダウンロードっていう場所の一番下にあるので聴いてみて下さい。「手紙」の元になったスライドも見れます。

曲の最後に、コンコンコン・・・という連打が入っているのは、嫁の「昼ご飯できたよ」っていう、モールス信号です。

ポーちゃん鳴き声混入以来、レコーディング環境は進歩しておりません。

次回記念すべき30回目は、7月1日です。

よろしくね。

今日の一曲
TSUNAMI S A S







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