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2007年09月01日(土) 愛蘭土3 〜リバーダンス〜
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三日目は、今回の旅の目的であるリバーダンスの公演を見た。

リバーダンスって何?って言う僕みたいな人のために軽く説明しときますと、これは、ダンスの種類を表す言葉ではなくて、アイリッシュダンスやその他のダンスと、アイリッシュミュージックをベースにした音楽を元に作り上げられた、1つのパフォーマンスのタイトルです。固有名詞です。キャッツ、ライオンキングなどと同じ。

もともと、ダブリンで行われた音楽祭の時間つなぎとして、7分間だけ企画された一度限りのパフォーマンスだったのですが、その評判があまりによくて、2時間のしっかりとしたストーリーのある作品に仕上げられ、世界各地で公演されるようになり、今では、そのまま会社組織となって、定期的に世界を回るアイルランドを代表するパフォーマンス芸術となっているものです。

その理由には諸説あるので、それぞれ調べてもらえばいいと思いますが、リバーダンスで踊られるアイリッシュダンスは、基本的に手を使いません。

その分、というか、とにかく足の動きが半端じゃない。ハードシューズというかかとの固い靴を履いて、黒人のタップをもっと鋭角的で直線的にしたような打撃音を打ち鳴らしながらステージのうえの10数人が一糸乱れぬ足さばきを見せるのです。

日本のマスコミのためにわざわざ、劇中の第一部のクライマックスのダンスを本番と同じ形で再現してくれた。

中世のオペラ劇場を思わせるような古くて格式のありそうな劇場の客席で、じっくりと見させてもらった。

本当に、手を使わない。必要に応じて多少手の表現もあるけれど、ほとんどが腰に手をやるか気をつけの姿勢で下におろしたままだ。

上半身の寡黙さと正反対に下半身の足の動きは地響きを伴って圧倒的な打撃音の濁流を生み出していく。

上半身に動きがない分だけ、なおさらその下の足の動きと音は、心の深層で固く誓われた決意表明のように毅然とした響きで迫ってくる。

押さえ込まれた情熱。アイルランドの苦難の歴史によって培われた不屈の精神。アイリッシュとしての孤高のプライド。そのシーンだけを見て圧倒された僕は、このパフォーマンスの最も伝えたいメッセージはそこなんだろうと思った。

アイルランドという国は、その歴史を通じてずっと、他民族の脅威と支配にさらされて来た。19世紀の中頃にはジャガイモ飢饉という大飢饉が起り、多くのアイリッシュが国を出る事を余儀なくされた。

リバーダンスのストーリーも、移民となったアイルランド人が様々な国の文化に触れながら自らのアイデンティティに改めて目覚め、そして再び故郷に戻っていくという循環を、川の水が海へ出て、それが雲となって再びもとの川に還っていくというイメージになぞらえて描かれている。

本番が始まった。

故郷を離れたアイリッシュが、スペインのフラメンコ、ロシアのコサック、アメリカの黒人のタップと、様々なダンスに出会い、アイリッシュダンスと対比するように競演しながら、ストーリーが展開していく。

ビル・ウィーランの音楽と、ミュージシャンのパフォーマンスも素晴らしい。

中略。見たい人のために。

大団円を見終わって、地元ならではのスタンディング・オベーションの嵐の中で僕の頭に浮かんでたのは、昨日見たハイクロスの中の、古代ケルトの円だった。

テーマはアイルランドの不撓不屈の精神である事には変わりないのだけれど、1シーンだけを見せてもらったさっきの印象とは微妙に違っていた。

そのアイルランド魂で勝ち得たものは、孤高のプライドだけではなくて、異文化への理解と、融合だ。そして永いあいだの願いであった平和だ。

私たちは、この今のアイルランドの平和をこそ最も誇りたい。とそんなことを言われているような気がした。

リバーダンスが全世界でこんなにも共感を呼ぶのもぼくは、この民族がやっとの思いで手に入れた平和のメッセージがその川の底流にあるからだと思った。

興奮冷めやらぬままパブへ行ったら、クラプトンに会った。

つづく。

今日の一曲
Sunday Bloody Sunday U2

2007年09月01日(土) 愛蘭土4 〜Wonderful Tonight〜
クラプトンは、そこでギターを弾いていた。

デックが、伝統的なアイリッシュダンスを見せてくれるパブがあると言って連れて来てくれた店で。

入っていくと、お客さんはほとんどいない。ダンスは、今日やるかやらないか分からないみたいだ。踊り手の人がまだ来てないと。いいなあテキトウで。

そこの店の側面にしつらえられた小さなステージにクラプトンはいた。だるそうに中空を見つめてエピフォンのアコギをつま弾いていた。

乾いた鉄弦のアルペジオが店の中をたゆたっている。

ギネスを飲んでいたら、クラプトンは歌い始めた。素朴なメロディーのフォークソングだ。

詳しいことは忘れたけど、デクランが、「僕らは本当の悲しみを知ってるだろうか、ホームレスの眼を見れば、そこには僕らの知らない悲しみが宿っている。」というような歌詞の歌だと教えてくれた。アイルランドの有名なシンガーの曲らしい。知ってますか?

その曲が終わると、70歳は軽く越えているおじいさんが、アコーディオンを抱えてステージに上った。

曲調はがらりと変わり、2、4アクセントのアイリッシュインストナンバーとなった。

それまでおっとりとしていた老人が、水を得た魚のようにクラプトンのストロークにからんで早いパッセージを奏で始めた。

体に染み込んでいるんだろうなあ、このメロディーが。血液のように。16分音符、6連符が乱舞する。

そのまま2、3曲やった後に再びクラプトン一人になり、僕らの方を見て言った。「なんか演らないか?ギター貸すよ。」

一緒にいた早坂君と八鍬君二人のテレビクルーはここぞとばかりにカメラとマイクセットする。デクランも、眼で合図を送る。

今回は、逃げるわけにはいかない。あいかわらず気後れしてるけど、この間の突撃パブよりはなじめそうな気がする。肚を決めてステージに上った。

離れて見ていた時は、クールそうに見えたクラプトンも、あれこれと気遣ってくれて、優しい親切なアイリッシュのおじさんだった。

僕なりに、クラプトンさんへの感謝を込めて、「Wonderful Tonight」から始めた。

昔は、白人が居ようと構う事なくハナモゲラの英語で歌っていた。25の時にニューヨークのクラブでやったラップは全編でたらめだった。若かった。

でも、今は何故かできない。自分の中にストッパーが掛かる。ちゃんとやんなきゃって思う。当たり前か。いまさら。

んで、ちゃんとやれなかった。穴だらけのWonderful Tonightとなった。

英語の曲はやめよう。迎合しても仕方がない。やっぱり、日本の曲が聞きたいだろうし、自分の曲の中で、日本のトラディショナルな雰囲気の曲を探したら、出て来たのはやっぱり「朝花」だった。

50音英語で、簡単に曲の説明をして、「朝花」をやった。

リバーダンスの音楽プロデューサーのビル・ウィーランが言っていた。「その国ならではの民族的なものは、他の国々の全ての人にそれぞれのトラディショナルなものを喚起させる力のある普遍性を秘めている。」

その通りな気がした。洋楽をやった時よりも自然な空気が流れ始めた。歌詞の意味は分からないにせよ。後で、デクランが「あの朝花にはこっちの民族楽器のティンフルートが絶対合うよ今度連れてくるから一緒にやってよ」と言った。やっぱりつながってる。

その後、クラプトンにギターを返してまた再び呼ばれて上がった。

アイルランド行く前の日が、7th floor で定例ライブだったのを思い出した。

お客さんのアンケートに「アイリッシュですねこの曲」と書いてあった、新曲「How?」。言われて、そう言えばそうかなあと思った。これにしよう。

どうやって信じろっていうんだろう 神様がいないってことを 君の無垢な笑顔の中に宿っているのに どうやって信じろっていうんだろう 神様がいないってことを 君の小さな胸の祈りが僕にわかるのに

思えば、ここまでアイルランドを旅して来て、こんなに今の自分の心境にあった曲はないような気がして来た。

どうやって信じろっていうんだろう 愛が幻だって 誰かのために生きてる事が 僕を支えているのに どうやって信じろっていうんだろう 希望が幻だって 永遠に続く悲しみなんてどこにもないのに

なんだかわかんないけど、そこにいる言葉の通じないアイルランドの人たちにちゃんと伝わっている気がした。思念が実在するのであれば、言葉の器にこぼれてあふれたこの曲のインスピレーションは届いたのではないだろうか。

さっきの、早弾きアコーディオンのおじいさんが、「おまえいつまでいるんだ?」と聞いて来た。あと4、5日と答えると、「じゃあ、毎日来い。もっとやってくれ。」と言ってくれた。素直にうれしかった。

「いやあ、ヒグチさん脱毛しました」とデクランが自分の頭を見せながら日本語で言った。これはギャグです。「脱帽」ね、ダツボウ、くうう、せっかくいい気分で浸ってたのに。

クラプトンさん、結局本名わからないままになっちゃいました、おじいさん、あれから行けませんでした、ごめんなさい、親切と気遣いをありがとうございました。忘れません。

今日の一曲
On Raglan Road Luke Kelly
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2007年09月03日(月) 愛蘭土5 〜タチアナ〜
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ホテルのすぐ近くにブラジル料理屋があった。

これも何かの縁だ。今回、僕は個人的に探してみたいものがあった。ダブリンの、ブラジル人のコミュニティーにあるであろう、スピリティスト・センターだ。通称というか、みんなセントロ、セントロと言っている。

それなあに?って言う人は、2007、8・7の日記を参照して欲しい。「うえ〜創世記」。

2005、12・29の日記みたいな気持ちで、電子辞書を護身用に忍ばせて、ドアを押して中に入っていった。

「すみませーん。」休憩時間っぽい。

「はいはい。」と若いラテン系の女性。

「あなたにいくつかの質問をしてよろしいですか?」

「どうぞ。」

「あなたは、ダブリンのスピリティスト・セントロがどこにあるか知っていますか?」

「あ〜、セントロ。私たちもどこにあるか知りたいんだけど、残念ながら知らないんですよねえ。」まだ来て間もないっぽい。「ねえ〜○○○、あなた、知ってる?セントロどこにあるか知りたいんだって。」

「いや、知らない。」奥の方から女性の声。

「ごめんなさいねえ、力になれなくて。」

「いえ、いいんですよ。ところで、あなたはアラン・カルデックを知っていますか?」

「ええ、そりゃもちろん知ってますけど・・・・」

「ああ、そうですか。それはよかった。どうもありがとうございました。さようなら。」

翻訳でお届けしましたけど、おそらく私の英語はこのように響いていた事でしょう。よく高校生の頃、自転車に乗ったモルモン教徒のお兄さんに「ちょっといいですか?あなたは神を信じますか?」と紋切り型の日本語で話しかけられていたのを、茶化して物まねしていたことを思い出した。あれと同じに今の僕は映っている事だろう。因果は巡るよどこまでも。

何気ない会話だけれど、僕にとってはものすごく収穫があった。先ず第一に、セントロって言って何の説明もせずに、すぐ通じた。行き当たりばったりのブラジル人に。それと、アラン・カルデックという名前も当たり前のように知ってた。

会話のノリとしては、「すいません、ダブリンに吉牛ありますかねえ?」「ああ、私もつゆだく食べたいんだけど、知らないのよねえ。」「ところで、長嶋茂雄知ってます?」「ええ、そりゃもちろん。」ってかんじ。やっぱり、エミリアの言ってた事は本当だったんだ。

エミリアというのは、日本にいる日系ブラジル人で、数ヶ月前から知り合いになった。なぜ知り合いになったのかというと、僕が、日本のセントロに通っているからだ。なぜ通っているかというと、角智織さんというそこの主催者と知り合いになったからだ。なぜ知り合いになったのかというと、「スピリティズムによる福音」というカルデックの本を翻訳されて、その本にメールアドレスが載ってて、メールを出したら返事が来たからだ。

説明が大変なので。そこのURLです。
http://www.spiritism.jp/

この「スピリティズムによる福音」という本は、ブラジル人にとっては、子供の時から家庭で読んでいる本らしく、聖書の中の福音書の、たとえ話が多いイエスの言葉の真意を、現代人に納得のいく形で様々な高級霊が通信によって解説しているのを、カルデックが編纂して一冊の本にまとめたもの。発売当時の1861年、ヨーロッパでも400万部を越えた。

http://www.amazon.co.jp/dp/4779001021/ref=nosim/?tag=spiritism-22

クリスチャンである事を強要しない形で、イエスの言葉の真意に触れることができるというのは、オウム以来の宗教アレルギーの日本人にとって最適だと思ったし、なにより、本の内容に非常に共感した。こんな本がもっと早く日本にあれば、遠藤周作さんの苦労も半分ですんだだろうにと思った。このほど重版決定。よかったですね角さん。

角さんは、翻訳家ではない。普通のサラリーマンだ。仕事が終わったあとこつこつと少しづつ6年かかってこの分厚い本をポルトガル語から日本語に翻訳された。幻冬舎から出てるが、自費出版だ。インディーズだ。彼が、この本を訳するに至る経緯や日本のセントロを主催するきっかけを聞くと本当に不思議としか言いようがない。導かれていると思うしかないような強力な何かに後押しされるように今の活動を行っている。僕ほどの明確な否定論者ではなかったにせよ、「そんな霊的な世界は、信じる人は信じてればいいんじゃないか、それはその人の自由だ。」ぐらいの特に興味も持たなかった人だった。

プライベートに関する事なので書きませんが。ものすごい紆余と、かなりな曲折で、今に至られる。

誤解の無いように。世界中にあるセントロは、宗教団体ではない。そもそも団体じゃない。角さんも、クリスチャンですらない。もちろん、多くのブラジル人はクリスチャンだけど、そうじゃない日本人も多くいる。なんの行動の縛りもない。誰に対しても門戸が開かれている。ただ、人間というものが霊的な存在であるという事のみ信じている。

変な、オカルト現象を起こして喜ぶような事もしない。じゃあ、何してるのか?

社会奉仕活動。具体的に言うと、日本ではホームレス支援をやっている。僕が通う理由もそこにある。角さんが始めてもう15年目に入る。僕がデビューした93年からだから。

少なくとも僕が見たスピリチュアリズムに関するサイトで、霊的な真理をこのような形で何かの実践に移しているところは、スピリティスト・セントロだけだった。だから、賛同した。

「ブラジル人は、考える前に行動しちゃうからね。失敗したら後で考えるよ。」エミリアが言ってた。B型が多い国民性も手伝ってんのか。世界中で、そのような支援をやっているのは、圧倒的にブラジル人が多いらしい。

いつものように、話は大きくそれました。ダブリンのホテルに場面は戻ります。

せっかくつながりができたしも一回行ってみよう。今度は違う角度から切り込んでみよう。

「すいませーん。」

「ああ、はいはい。」昨日とは違う女性。

「あなたに、いくつかの質問をしてもいいですか?」

「どうぞ。」

「ここダブリンに、ブラジル人の多く住むエリアはありますか?」

「ああ、あなた、昨日の人ね。話聞いてたわ、セントロ知りたいんでしょう?」

「はい、そうです。」

「あのね、うちに、タチアナっていう子がいるんだけど、その子ならなんか知ってるかもよ、その子学校行ってるから、5時になんないと来ないんだけど。5時になったらまた来てみれば?」

「ああ、そうですか。それはよかった。それじゃあ、そのときにきます。どうもありがとう。さようなら。」

進展した。5時に行ってみた。

「すいませーん。」

「はいよ。」でかいおじさんが出て来た。

「あなたにいくつかの質問をしてもいいですか?」

「いいよ、何?」

「私は、タチアナさんという人と、話がしたいのですが、彼女は今いますか?」

「お〜い、タチアナ、お客さん。」タチアナが出て来た。

「初めまして。あなたに会えて幸せです。」

「ああ、あなた、話は聞いてたわ。日本から来たんでしょう?」

「はいそうです。私は、常日頃日本のセントロに通っています。」

「ああ、そうなんだあ。ごめんねえ、教えてあげたいんだけど、知らないわ。」

「あなたは、アイルランドに来て、どれくらいたちますか?」

「半年よ。」

「あなたは、ブラジルにいる時、セントロに通っていましたか?」

「ええ、向こういる時は毎週行ってたわ。」

「ああ、そうですか。それはすばらしい。あなたはこの事実を知っていましたか?」

「なに?」

「アランカルデックというのは、彼の本名ではないという事実です。」

「ああ〜なんか聞いた事あるかも・・・」

「その名前は、彼の前世の名前であります。彼はその昔、ここアイルランドの神官でした。」

「へえ〜。」

「ドルイド教という古代の宗教です。」

「それは知らなかったわ。」

「あなたにこの情報を教えることができて私はうれしいです。」

「ありがとう・・・」愛想笑い。

「あなたは、パソコンを使いますか?」

「ええ。」

「ここが、日本のセントロのURLです。それと、これが代表者のメールアドレスです。彼は日本人ですが、ポルトガル語と、英語がしゃべれます。」

「ああ、そう。ありがとう。こっちのセントロわかったらメールするわ。」

「どうもありがとう。あなたにすごく感謝してます。それではさようなら。」

前世とは、previous incarnation という。電子辞書よありがとう。

片言の日本語の外国人にこれからもっと優しくしてやろ。

タチアナさんありがとう。つづく。

今日の一曲
ワン・ノート・サンバ   オス・カリオカス

2007年09月06日(木) ハ〜レィ ヨイサヨイ
アイルランド紀行をお届け中ですが、ここで、ニュースをお知らせします。

本日、もう昨日か・・石川さゆりさんの朝花が発売になりました。

それを記念して、こちらのホームページで、皆さんの朝花への想いみたいなものを募集するという事にちなみまして、先ずは、私の朝花への想いを書き綴ってみたいなと思います。

この曲を書いたのは2003年の夏でした。

ライブなんかでは、奄美の朝花節を聞いて、一気に書き上げたとドラマチックなことを言っておりますが、まあ、まるっきりでたらめではないですが、何となく、サビのメロディーが先に出来上がっておりまして、♪あ〜の〜ほにゃららの調べがほにゃらららみたいに歌っておりました。その段階では詞ができておりませんで、また例によって、いったい何の調べなのよ,と、曲に聞いているという状態でした。

なかなか何の調べなのか答えてくれない所に,奄美出身の方がやっていらっしゃる島唄のサイトを見つけまして、そこで,地元の人の素朴な三味線の弾き語りを聴いていて、朝花節に出会ったわけです。最初は,色んなエリアの島唄に朝花節ってタイトルだけがそこここにあって,なんだろうと聴いてみると、それぞれ節も歌詞も違ってて、ますます謎が深まっていこうとする所に、この朝花とタイトルのついた節は,各エリアで歌遊びの最初に挨拶代わりにやる歌なんだという事がわかったわけです。

様々なお祝い事,晴れの日、門出の日にこの朝花節と名付けられた歌が歌われる情景が頭に浮かびました。

子供の誕生祝い、お正月、娘の結婚式、などなど。そうしてふと思ったわけです。楽しい出来事にしっかりと結びついた歌としての朝花節が、時として悲しいものになってしまう時もあったのではないかと。それはその楽しい時をいつもずっと分かち合って来た人とのつらい別れだったりもするんだろうと。

そこまで考えた時、僕の頭の中に,一人の女性が海辺に佇んで遠く沖の方を見つめている映像が浮かんだのです。

彼女の胸には、今までの楽しかった出来事が海風に誘われて次々に思い出されます。そしてその思い出の全てにこの朝花節が流れていました。

自分の人生はこれでよかったんだと,今は静かな気持ちで振り返ることができる。そして,好きだった人は,今も変わらずに自分を見守ってくれている。

そして,いつかあの人に再会する日まで、残りの人生をしっかりと生きていこう、と彼女は思います。

その女性が,石川さゆりさんだったのです。何故なんでしょうか? 僕にもわかりません。

歌手としての石川さんではなくて、そのストーリーの主人公としての石川さんでした。そしてその石川さんが主人公の映像を思い浮かべながら,歌詞を一気に4番まで書いたんです。

なので、1コーラス歌われていない歌詞があるのです。そうだ。今書いてて思い出した。

その時点では,石川さゆりさんに歌われるなどとは夢にも思っていませんでした。

僕は,この曲を,演歌ともポップスとも民謡とも歌謡曲ともいえないどこにも属さないものにしたいと思っていました。

それでいて懐かしいものに。

その,ノンジャンルなイメージがもしかしたら石川さんと重なったのかもしれません。

「天城越え」と「ウイスキーがお好きでしょ」の振れ幅。レコーディングの時に,自分は演歌歌手だとは思っていないとおっしゃってました。「津軽海峡って,あれ演歌?」と本人に聞かれて,・・・そう言われてみれば・・・わからない。たしかに。

あとは、同郷の熊本出身だということで、原点回帰のイメージの象徴にさせてもらったのかもしれません。3番の「瞬きの間に過ぎていったこの生を悔やむ曇りはあらず。」という歌詞の後ろには,父親の「ああ,人生一瞬だったな」という言葉と母親の「私は自分の人生はこれでいいと思うとるけんね」という言葉がありました。

2番の「子は育ちやがて子の親となり」という歌詞を書いた,ひと月後に自分が親になったことを知りました。不思議なもんですね。

まあ結局なんだかんだ行っても,ただ単純に石川さゆりの歌のファンだっていう,ただそれだけの理由かもしれません。

石川さゆりさんによって,「朝花」の別の顔が見えたような気がします。僕の朝花がまだ悲しみを少し引きずっているのに比べると、石川さんの「朝花」は、もうかなり,未来に顔が向いて、悲しみから立ち直っている女性の横顔が見えて来ます。

何たって主人公なんですから。そりゃ強いはずだ。

主人公に歌ってもらえてこの歌も幸せ者です。

今日の一曲
風の盆恋歌 石川さゆり


2007年09月07日(金) 国際お笑いコンビ でっく&ろー
IMG_1927.jpg 640×480 56K欧米か? 欧米だ!! ギネス ストアー・ハウスにて

2007年09月07日(金) エコかー?
IMG_1889.jpg 640×480 91Kよく見ると,人工芝。

2007年09月08日(土) 愛蘭土6 〜HAVING NO ROOF OVER YOUR HEAD〜
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アイルランドは、今好景気だ。

ITを中心として、GDPがEU第三位。なんかよくわかんないけど、いいかんじ。

活気だった雰囲気は、グラフトンストリートというメインストリートの観光客の賑わいを見ていても伝わってくる。イタリア人が多い。九州の人が北海道に憧れるようなもんか?

景気が良い所に付きものなのが物価高と格差。何でも一様に物が高い。街のあちこちにホームレスの座り込んだ影が目につく。

音声の八鍬君の話によると、2年前に来た時には、全く見なかったと。デクラン曰く、景気がいい事で、職を求めて不法入国したものの、厳然たる格差と、法律の厳しさに直面して、路頭に迷ってしまった人や、いわゆる麻薬中毒者がその大半だということ。

日本に比べると、圧倒的に若い世代が多い。見た所20代から40代が中心になっている。

グラフトンストリートは、大道芸人がその芸を競う通りでもある。弦カルテットから、ソロエレキギタリスト、ピアノの弦部分を直接スティックで叩くような見た事ないような楽器とか、定番の突然動き出す銅像人間とか、思わずうなってしまうような素晴らしい技術を持った人たちばかりだ。

その通りの入り口で、コンクリートの地面に文字を書き込んでる二人組がいた。人だかりができている。写真を見てもらうとわかりますが、ちょっとしたアートな仕上がりになっている。

文中の、HAVING NO ROOF OVER YOUR HEAD というのは、住む家がないっていう意味。写真クリックすれば大きくなります。そんなに難しい英文じゃないので読んでみて下さい。書いてる二人は、ホームレスだっていう事がわかる。こういう主張をするホームレスの人って日本では見られない。結構お金も集まっていた。

ホームレス自らが売って生活資金を得る雑誌、「ISSUES」を売っている人がいた。買って読む。

知らなかった。ホームレスのサッカーワールドカップがあり、アイルランド代表が今年のデンマーク大会に出発するという記事が載っていた。強いらしい。何やらお偉い人に、どこかのマンションハウスに招待されて激励されていた。見てみたい。でもこれも、若い人が多いってことを証明している。

人通りの多いCAFEの立ち並ぶ路地の歩道に、生後間もない赤ちゃんを抱いた若い女性のホームレスがいた。

二日前、スタッフと一緒の時にも見かけた。ちょっと迷ったあと、心を決めて、横に座り、話しかけた。「あなたはアイルランド人ですか?」

理解出来ない言葉が返ってくる。東欧の響きを感じる。英語がだめみたいだ。

「どこの国から来たんですか?」この上ないほどゆっくり聞いた。

「Not my meal. Not my meal. baby's meal baby's meal.」と僕に向かって訴えるように繰り返す。

彼女は、baby's meal と繰り返しながら、鞄の中から粉ミルクの缶を出した。平たくひしゃげた缶に、ピンクと白の縞模様の赤ん坊のニット帽のようなものが被さっていた。中はほとんどカラだ。

そのミルクの缶に被せられたニットの帽子を見るまで、僕は彼女が世の中の他の全ての母親とあらゆる意味で同じように、自分の子供を愛しているという事実に気がつけなかった。悲惨な社会現象に接するような気持ちで彼女に接していた。うちの嫁がやっているように、母親が生まれたばかりの自分の子供に関わる全てのものを、編み物なんかで可愛らしく装いたいと思うのと同じ気持ちで、このニットの帽子をミルク缶に被せているんだろうなって思った瞬間、その子供がおなかがすいて泣いていてもミルクがあげられないっていうことがどんな気持ちなのかが、恐ろしいくらいリアルに伝わって来た。

そんな時おそらく全ての人がそうするように僕もそれを持って、スーパーに行って、おんなじ物を買って来た。

彼女に渡すと、thank you と言った。弱々しいけど、ほっとしたような初めての笑顔だった。

聞いても仕方がないことかもしれないけど「あなたは自分の国に戻りたくありませんか?」と聞いた。

No Speak English. と申し訳なさそうな顔で返事が返って来た。

終始虚しかった。

僕の買ったミルクも、ひと月後には底をつく。

こういった事をするとき、自分の中に様々な心象が錯綜する。無力感、虚栄心、自尊心、偽善行為じゃないのか、自分が気持ちよくなりたいだけか、自己啓発の道具か等々、心の不純物が目の前に突きつけられる。ボランティアというものに対して聞かれる、自己満足じゃないかといった批判もそこらへんを突いたものだろう。

こうして書いて公開するという行為にもそう言う気持ちがつきまとう。

人間は、純度100パーセントのチャリティー精神を持つ事は不可能だ。限りなくそれに近かったとは言えマザー・テレサでさえこの地上では無理だったと思う。

でも、そんな自分の心の中を覗いたとき、目の前にいる人を助けたいという気持ちが占める割合が、僅差であっても他よりも一番多かったなら、何を言われようと迷わずやればいいんじゃないかと僕は思う。他の感情からも目をそらさないままで。そうして行動しているうちに純度は高まっていくものだと思う。

このミルクが底をつくまでには、お金もある程度たまる。ダブリンにも、カトリック教会を中心にした熱心な支援活動がある。

そして、なにより、人間はたくましく生きていくものだ。僕の行為があろうとなかろうと、彼女は生きていく。この赤ん坊だってこの人生を敢えて選んで生まれて来たのだから。

そしてどんなに孤独な時でも、必ず見守るスピリットがいる。生命が永遠なら、そこに完全な絶望はあり得ない。

自分がやれるだけの事をやったあとは、全てを神にゆだねればいい。

異論はあるかと思いますが、僕はそう信じている。

次の日の朝、別のホームレスのカップルに聞いたら、彼女はサリーという名前だと教えてくれた。その日がもう帰る日で、いろいろ探してみたけれど、結局サリーには会えなかった。

トリニティカレッジ側からグラフトンストリートに入ってすぐ、最初に右に曲がるWICKLOW STREET の奥の右側の歩道に彼女はいました。

ダブリン行かれる人いたら、行ってみて下さい。

今日の一曲
生まれくる子供たちのために オフコース

2007年09月09日(日) 聖堂跡
IMG_1865.jpg 1280×960 265Kグレンダロッホの聖堂跡。段差から向こうは,11世紀頃に建て増しされたもの。ロマネスクのデザインが見て取れるんだって。正面の穴には,緑色の分厚いステンドグラスがはまっていたらしい。地面にある石盤は,墓標。人が埋まってる。このグレンダロッホのコミュニティーの末期の実力者が眠ってる。ここに埋葬されると,ファーストクラスで最優先で天国いけると信じてたらしい。人の考えることは・・・・いつもおんなじだ。

2007年09月11日(火) 愛蘭土7 〜モリー・マローン〜
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デクランは、間が嫌いな33歳のガイドだ。

芸人魂が宿っている。 名刺には「アイルランドのエキスパート」と日本語で印刷されている。

彼の経営する会社
http://www.ewe.ie/

バスに乗ってる間も、ずっとしゃべっていた。多くはアイルランドの歴史や、文化についてのうんちくに、あまりにも西洋人らしからぬ日本的なギャグが挿入される。

しかし、英語を即座に、日本語に訳す能力はずばぬけている。逆も。6年ぐらいしか日本にいなかったのに。努力と天性だ。

「ああ、もう皆さん元気ないですねえ。ついてこいよう。じゃあ、ここで、一発歌を歌いましょう。」と、バスガイドさんみたいなことを言って教えてくれた歌がある。

「いいですか、サビを皆で歌いますよ。じゃあ練習、はい♪〜Alive Alive O Aliive Alive O Crying Cockles and Mussels Alive Alive O〜♪ 元気ないなあ、ほれ、もっとおおきなこえで。」

新聞記者さんたちを修学旅行生みたいに歌わせる。

この曲、古くから伝わるアイルランドのフォークソングで、「モリー・マローン」っていう曲です。モリーマローンっていうのは、この歌の主人公の貝売りの行商の少女の名前で、デクランが教えてくれたサビの意味は、「とれたてだよ〜 新鮮だよ〜 ザルガイ、イシガイ みんなとれたてだよ〜」ってかんじの、売り声です。

グラフトンストリートの入り口に、このモリー・マローンのブロンズ像がある。ハチ公的な存在なんだろう。その像の土台にいつも腰掛けている、名物大道芸人のおじいさんがいて、いつも人だかりに囲まれていた。最後にはいつも、このモリーマローンを朗々と歌い上げて喝采を受けていた。この写真を撮った時には,上の像がモリー・マローンだとは知らなくて,肝心の頭が切れちゃっている。

樋口了一訳で、歌詞を乗せます。責任回避編集。

モリー・マローン

愛らしい少女たちが集う麗しのダブリンの街で
最初に目に留まるのが可愛いモリー・マローン
彼女は手押し車を押しながら
広い通りや狭い通りを声を上げて練り歩いていた「ザルガイ イシガイ 新鮮だよ〜」

さあさあ とれたてだよ〜 新鮮だよ〜 
ザルガイ、イシガイ とれたての貝はいかがですか〜

彼女は貝売り
それは当たり前のこと
彼女のお父さんもお母さんもそうだったから
彼らはみんな手押し車を押しながら
広い通りや狭い通りを声を上げて練り歩いていた「ザルガイ イシガイ 新鮮だよ〜」

さあさあ とれたてだよ〜 新鮮だよ〜 
ザルガイ、イシガイ とれたての貝はいかがですか〜

彼女は高熱のせいで死んでしまった
誰も彼女を救うことは出来なかった
可愛いモリー・マローンの短い生涯は終わった
でも彼女の魂は今も変わらずに手押し車を押しながら
広い通りや狭い通りを声を上げて練り歩いている「ザルガイ イシガイ 新鮮だよ〜」

さあさあ とれたてだよ〜 新鮮だよ〜 
ザルガイ、イシガイ とれたての貝はいかがですか〜

さあさあ とれたてだよ〜 新鮮だよ〜 
ザルガイ、イシガイ とれたての貝はいかがですか〜


どんなメロディーだと思います?
ドナドナみたいな悲しいメロディー?
違うんだなあ
3拍子のゆったりとした、明るくほのぼのとした牧歌的な曲なんです。

ちょっと,「エレンディラ」を思わせる切ない歌詞ですが、明るく柔らかい3拍子のメロディーに乗ると,切なさにほんのりとした救いの予感が漂って、どこからか幸せな気分がやってきます。

フェリーニの、あれ、なんだっけ?ジュリエッタ・マシーナが,娼婦の役の・・・「カビリアの夜」だ!!!のラストの,霊感に満ちた救いの瞬間を思い出した。

歌い継がれる曲っていうのはすべからくこうだと思いませんか? 悲しくてうれしくて切なくて楽しくて,その全てでそのどれでもない感情を呼び覚ますような。言葉で取り決められた制度としての感情の鉄格子を越えていくような。

メアリー・フライが原作といわれている「千の風になって」という詩ありますよね。あれのテーマに近い詩が,アイルランドにもあるんです。NHKで特集されていたものを見たTさんから聞いたんですが、調べてみると,パトリック・キャバナという詩人の、in Memory of my Motherという詩です。

http://www.poemhunter.com/poem/in-memory-of-my-mother/


私はあなたがモナハンの墓地のジメジメした土の中に横たわっているとは思わない
私には駅へとつづくポプラの小道を歩くあなたが見える
夏の日曜日に二番目のミサに幸せそうに行くあなたが見える
あなたは私に会いにきて言う「牛の世話を忘れちゃいけないよ」
あなたの土くれた言葉の中に天使たちがさまよう・・・・・
                         

「土くれた」なんて日本語はありません。あしからず。

windy trainのセミしぐる森なんてのもありません。ついでに暴露。

造語好きのジョイスと同じ2月2日が誕生日なもんで。アイルランドだしね。おゆるしを。

「千の風ー」が,死者を一人称としているのに対して、こちらは,オーソドックスに残された息子が「私」になっています。
「千の風ー」の私が,風になり,雪になり、雨になり,太陽の光になるのに対して、こちらでは、他界したお母さんがそのままの姿で生き続けています。

一見死生観の対立のように思えますが、このどちらの詩も同じことを別の角度から言っているだけなのだと思います。

だって、私が雨になるからって、体を構成していた元素が火葬されて空に舞い上がって、水分と結合して雲になってそれで雨になって落ちてくるんだなんて,そんな即物的な事を表現しているわけではないでしょう。

森羅万象が神に抱かれてつながっているのならば、風であっても,雨であっても、それは死後もちゃんと個性を伴って生きている人へとつながっているわけで、肉体がなく,その人を五感で認識することができないために、そうして様々な自然の現象をその人へと想いを馳せる手がかりにするっていうのは、きっと昔からの人間の知恵なんじゃないでしょうか。

「千の風ー」で,死者が一人称になっているという理由も、肉体から解放されて,霊の世界に戻り、生と死の実相に目覚めた故人が、悲しみに暮れる愛する人に対して、死とは悲しむものでも何でもないという事実を、優しくなじみやすい例えで教えてくれている詩にしたいという作者の思いがあったからなんだと思います。

僕個人としては、パトリック・キャバナの詩がリアルで心に迫って来ますけど。

また,こっち系の話題になっちゃった。

さすが神話と精霊の国だ。どっから入ってもそっちへ行く。

「パトリック・キャバナは小学校の時から習いますよ、こっちでは。私もすごく好きな詩人です。」とデクラン。

宮沢賢治的な存在なのかな。

キャバナのOn Raglan Roadという別の詩に,ルーク・ケリーというシンガーが曲を付けて歌っています。

今日の一曲
上を向いて歩こう 坂本 九

2007年09月12日(水) 路上のアーティスト
IMG_1942.jpg 1280×960 188K地球で最も有名な親子

2007年09月13日(木) 愛蘭土8 〜袖すり合うも他生の縁〜
grp0913095120.jpg 640×480 92K
7回にわたってお送りして参りました,アイルランド紀行、今回で締めさせていただきます。

結局ダブリン中心で,その周辺をちょいちょいと回るような旅でしたが、いろいろ見過ぎないことで逆に記憶に刻み付けることができたような気がします。

有名な観光名所に関してほとんど書いてません。行く事は行きました。羅列しますと・・・・
ええと・・・・ギネスの工場・・・・毛織物の里アボカ村・・・・ケルズの書が収められたトリニティ・カレッジ・・・パワーズ・コートの滝・・・ダブリン城は・・・外から見ただけ・・・Stパトリック大聖堂・・・おなじく・・・アイリッシュ・ウイスキー蒸溜所・・・行ってない・・・

まあね・・・これらは別に僕が書かんでもね。しかし,偏ってるね。

リバー・ダンスの事務所で,公演を見た次の日、プロデューサーの方々や,プリンシパルの二人にインタビュー出来たのは貴重な経験でした。僕は,音楽プロデューサーのビル・ウィーランにしか質問してませんが。

それで次の日国立美術館を、リバーダンスの美術を担当されているRobert Ballaghさんに案内してもらった。この人、アイルランドのお札をデザインした人らしくて、自分の作品も展示してあって、色々説明してもらった。描いた人自らが解説してくれる機会ってきっとあんまりないよね。

ええと、あとは・・・そう,知ってた?ギネスブックのギネスって、黒ビールのギネスと一緒だってこと。知らなかったよ僕は。
・・・・U2のボノとエッジが経営してるホテルがあった。今、リフィー川沿いに最上階にスタジオを備えたU2ビル作ってた。完成したらダブリンで一番高いビルになるそうな。て言っても10数階建て程度ですけど。高い建物がないところもこの街の魅力です。ビル街っていうものがない。古い建物をそのまま使うのが当たり前みたい。地震と無縁だからできることかも知れないけど。街全体が我が母校(って呼ばせてお母さん)立教大学のキャンパスのよう。

ああ,そうだ。皆さんハーリングって知ってますか?知らないよねえ。アイルランドの国技で、こっちではサッカーよりも盛り上がるそうです。見れば見るほど不思議なスポーツでした。クリケットとホッケーとサッカーとラグビーと野球がぜええんぶ混ざったような競技。スティックもってぽんぽんその上で弾ませながら走り、走りながら野球のノックみたいに打ち,ゴールはH型のラグビーゴールで,下半分にはサッカーゴールみたいなネットが張ってある。ボールを手でとってもいい。

「国技だからプロはいないよ。お金を得る手段にするとだめだよ、おかしなことになっちゃう。」デクランが誇らしげにいう。選手は皆別の仕事を持ってやっている。耳痛。

もう1つの国技ゲーリックフットッボールも行われるクローク・パーク・スタジアムにはアイルランド独立にまつわる悲惨な事件がある。
U2の歌う血の日曜日とは別にもう1つの血の日曜日がここアイルランドにはあるっていうことも知らなかった。
今も,スタジアムには厳重な監視カメラによる警備が敷かれている。
クローク・パーク
http://www.globe.co.jp/dublinguide/dublinguidebook/dublin/g-dublin20.html

ギネスの黒は,鉄分豊富で,昔は妊婦さんが飲んでいたそうな。アジア人はマネせん方がよかろう。肝臓のできが違う。

Boxtyっていう伝統料理はうまい。外側の皮が,小麦粉とジャガイモを練り込んで作ってある。中身は色々。

横断歩道の歩行者用信号は100%押しボタン式。同方向へ向かう車が青になっても押さないと,永遠に赤のまま。
そして,日本にはめずらしい,歩行者用黄色信号がある。青は,測ってみるとすべからく5秒で黄色に変わる。黄色が長いので慌てずに。「トゥァ、ッタンタンタンタンタン・・・・・」という,クイズの解答を迫るようなポンポン船のような連続音が、「油断すんなよ,自己責任ね。」と念を押しているよう。でも,車の人総じて親切。おおらかに待ってくれたり止まってくれたり。

田舎に行くと,「妖精の横断に注意」という標識があるそうな。

プチ情報もつきた。

今回の,テレビの締めカットとして,リフィー川沿いのボードウォークのベンチで、ギターもって弾き語った。

あれからタワーレコードで,早速仕入れた「モリー・マローン」。一夜漬けでコピーして演奏した。Rickyさんに歌詞を捧げ持っててもらって。

リフィー川は,ダブリンのど真ん中を貫いてアイリッシュ海へと注ぐ川だ。アイリッシュ海の向こうはリバプール。かつて、ビートルズの4人の先祖も,ここからリバプールへと渡った。リバー・ダンスが産声を上げたポイント・シアターもこの川の下流にある。

東洋人がアイルランドの伝承歌を歌ってる。不思議そうに通り過ぎる人もいる。ニコニコしながら通る人もいる。大声で茶々入れる酔っぱらいもいる。

袖すりあった人たちが去来する。様々な境涯の人たち。皆それぞれ必死で生きている。

やっぱ人だ,旅は。福江島のちーちゃん元気かなあ。もう小学校はいるかなあ。あの人懐っこい笑顔はそのままかなあ。

アイルランドはリピーターがすごく多い国だそうです。わかる気がする。色んな顔がある。頑なで,柔軟で、せっかちで、おおらかで、古くて,最先端で、霊感的で、そして基本的には楽観主義で。デクラン,どうもありがとう。皆さんもアイルランド行く時はどうでしょう?おすすめガイドですよ。「欧米だ!!」。

旅の最中の話が高じて,西日本新聞社の西山さんに僕のことを取材していただいた。ありがとうございます。各新聞社の皆さん、先導してくれた主催者イベンターの方々、テレビクルーの早坂君、八鍬君おつかれさま。編集がんばって。

海外旅行経験豊富なRickyさんからのプチ情報。エコノミーで行く時はカウンターでスチュワーデスさんの正面をお願いするといい。足が伸ばせる。帰りはお願いしたはずがシカトされましたけど。

みなさんおつかれさまでした。

ご愛読ありがとうございました。

今日の一曲
Love me do Beatles

2007年09月14日(金) 国体風
台風の近づく,九州大分へ、国体のプレイベントに出て来ます。僕は歌うだけです。ホーガンは投げません。

15日,15時ぐらいから,九州石油ドームでやります。屋根があるから大丈夫です。

天気の巡り合わせに関しては、もはや驚くこともありません。さすが俺っていうかんじです。

行って来ます。

今日の一曲
嵐を呼ぶ男 裕次郎

2007年09月20日(木) 落朝花生
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落花生ってこうして字で書くと、不思議な感じですね。

花が終わったあと、その部分が土の中に潜って実をつけるんだって。

「落花豆」となっても良さそうなところ、「生」ってくると、パアアアッーってイメージがメタフィジカルな人生哲学の方向を目指して飛翔する。落ちて、生きる。

考え過ぎ?

考え過ぎんのが、お・し・ご・と?

奄美の落花生にちなんだのでしょう。この写真ではよくわかりませんが、表面に「朝花」と印字されています。

すごいなあ、なんでもできるんだなあ。

先日、石川さゆりさんに、僕の仙台でやっているラジオのゲストに出てもらうために浜松町で収録をやりました。

色々話した中で、印象に残っている話が、よく同じ曲を何百回何千回って歌って飽きませんかと言われるけれど、私は全然飽きないと。

むしろ、その時々、一回一回が自分自身の成長と共に、曲自身も育っていってくれるのを感じるので、毎回が新しい気持ちで歌えるそう。

津軽海峡しかり、天城越えしかり。

僕も、40を越えて、ようやくそういう風に思えるようになって来たので、すごく共感した。

阿久悠さんが、生前、「さゆりのうたう曲は、年とともに成長していくから、書いた方としてもそれが何よりうれしい。」とおっしゃってたそう。今でもそう思って見守ってらっしゃるでしょう。

そうありたい。僕も。

んで、その時に、18日にNHKで「朝花」歌うって聞いたので、見た。子供の攻撃をかいくぐりながら。

もう既に、その「成長」が始まってるな、と感じた。これからどんどん石川さゆりさんの色がついていくんだろうなと思った。楽しみです。

でも、つくづく僕の曲って言うのは、短縮に向かないね。一番終わってから、すぐに森俊之ここにありって言うストリングスの間奏に入ったので、ああ、2番カットなんだと思った。

そしたら、間奏明けに歌われたのは、2番の歌詞。あれ?

と思っていたら、2番のサビの最後の歌詞が、「生きていきます〜」になってエンディング・・・

石川さん側も、どの部分の歌詞を歌うか、結構悩まれたのではないかという試行錯誤が伝わって来た。

あっちをたてればこっちが引っ込む。

すいません。手がかかって。

流行歌っていうものは、一番聞いたらもうババッと、全ての状況が提示されていなければならないんだぞう。って昔誰かが言ってたような・・・・

「朝花」は、1番聞いてもまだなんのことだかわからしまへん。

ていうか、「朝花」ってなんや?最後まで聞いてもわかりまへん。

なんやろ?

誰も、見たことがない「朝花」。

なんでもかんでも、わかっちゃってもねえ。

いいか。これで。

今日の一曲
また逢う日まで OZAKI

2007年09月21日(金) 車500台と500台が
日本列島の、端から同時にスタートしました。さて落ち合うのはどこでしょうか?

というなぞなぞの古典の舞台となっております、1000台。

仙台。でイベントやります。

よくお世話になっております、レトロバックページで。

今回、応募制となっております公開録音。

どうしてもというかた。

いやそんなのあるなんて知らなかったよ、行きたいなあって方。

どうしてもと言われるのなら、

仕方がない。受け付けましょう。22日まで。詳しくは、樋口ホームページ参照して下さい。

いや、もうほんとはだめなんですよ。閉め切っちゃってて。

でもどうしても、というならねえ。考えてもいいかなあ。

こっちとしては、どっちでもいいんですけど、ぜひ見たい行きたいっていう人がいるならねえ。

しつこい?

すいません。ぶっちゃけます。直前だったもんで、しっかりと余裕があります。お暇な方。

ぜひいらして下さい。お願いします。

それにしても、話し変わるけど、マックユーザーの方、僕のホームページの朝花への想いコメントと、仙台イベントの項目開きますか?

僕は開きません(笑)。

もしいらしたら、メールでも下さいね。

今日の一曲
千年メダル ハイロウズ





2007年09月25日(火) 仙浜
仙台バックページ、それから横浜そごう来てくれた方々どうもありがとうございました。

前回の日記でぶっちゃけたおかげで、仙台もあれからお客さん増えたみたいです。

横浜は、メッカの名にふさわしく、たくさんのお客さんでした。

盛り上がった。ありがとう。

仙台では、くりでんの細密な絵をいただきました。

横浜では、DVDとか、貼り絵をいただきました。ありがとうございました。

横浜で、2回目のライブが終わったあと突然サトケンが登場したのには驚いた。

まるで、前もって頼まれていたかのように、即売トークが炸裂した。

「明日いくかもしれません。」と仙台からの帰りの新幹線の中で言ってた。お客で。あくまでお客で。

イベント=仕事 っていう条件反射の悲しい性。単なるお客ではいられなかった。ありがとう。

でも、こうやって集まって、時たま大声出して歌える場所があるっていいですよね。

また来ますね。来てね。

帰りに、白楽の「珈琲文明」に初めて行った。

珈琲文明とは、私の後輩が始めたカフェ。2007、6、26の日記を参照あれ。

http://www.coffeebunmei.com/

ここの、マスターの日記ってとこで、昨日のことを早速紹介してくれています。

私の日記を見たどうらーのかたがたが、行かれたみたいで(昨日もきてくれてた)。

マスターのおじゃ丸共々感謝致します。

「樋口さん、で、俺ね、どうでしょうってみたことないんですよ、実は。」とおじゃ丸。

それで、お客さんに私の曲が最も効果的に使われているという風に教えてもらった「原付ベトナム」のDVDを、こないだ予約したそう。

一人増えた。

これから、はまっていくことでしょう。皆さんも通ってたまり場にしてやって下さい。

お世辞抜きに「いい店」です。

今日の一曲
1/6の夢旅人2002



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