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2006年08月01日(火) くりはら市、
誰かが、言っていた。くりはら市役所は、小さくてこじんまりとしていて、職員のひとも、30人ぐらいしかいない、と。

ガセだった。

レンタカーで、Ricky さんと、FMの高橋さんと向かった、くりはら市役所は、近代的な、モダン建築の大きな建物だった。

中に入ると、大勢の職員の方々が、忙しそうに電話したり、パソコンに向かったりしている。ロビーは、吹き抜けの高ーい天井。ここでやるんだよね?

PAなし。完全地声。OK?

たじろぐ暇もなく、栗原市長さんと、面会の時間になりました。名目は、表敬訪問。
ひょうけいほうもん。どういうほうもん?敬意を満面にたたえながら、部屋をノックすればいいのか?と、逡巡する暇もなく、広ーいお部屋に通された。

そこに、1人でいらっしゃった、佐藤勇栗原市長。

気さくに対応していただいて、少し緊張がほぐれたところで、やにわに「君は僕の後輩だから。」と言われた。

聞くところによると、立教大の文学部卒だということで。私は、経済学部自主卒業という事で。へへへ。

僕らが軽音楽部時代に練習で使っていた、1202という教室が、市長の学部のメインの教室だったそうだ。よかった。僕が知っていた教室は、練習部屋の、1202と、1206だけだった。話がつなげられる。思いがけず、心はくりはら市から、豊島区池袋へと飛んでいった。

当時僕が所属していた、「ロイヤル・アイランダーズ」というバンドも、市長の在籍当時からあったらしく、その当時流行のハワイアンバンドだった。「よく頼まれて、リサイタルに、トイレットベーパー投げに言ったよ。」と市長。

へえええええ。がってんがってんがってん。志の輔。

関口宏さんが、専属の司会だったとは聞いていたが、「ああ、彼は2つ下だったね。」

ほおおおお。ほんとだったんだ。

と、表敬訪問のはずが、根掘り葉掘り聞き倒し訪問になってしまった。すいませんでした。しかし。この出会いも、「windy train」があっての事で、「今日は、もう3回聴いたよ。」と、本当に気に入っていただいてるみたいでした。どこの馬刺肉とも知れないやつが、勝手に作っといて、おしかけて、ほんとにねえ。ありがたいことです。はい。

12時を回ったところで、ロビーライブ開始。

お客さんは、ほぼ100%職員の方々。全員ワイシャツにネクタイで、みつめられる。なんか、公務員試験の面接みたいだ。受けた事もないくせに勝手な想像。ここは、故郷3部作をやろうと思い、「風の呼び声」「朝花」そして最後に「windy train」をやった。皆さん、熱心に目を閉じて聴いてくれている人もいて、こっちも、完全なま音で、すっぱだかだし、かっこつける事なく、素朴に、真摯にやらせていただきました。貴重な昼休みをありがとうございました。ど真ん中で、市長にも見ていただきました。「これで、今日4回目だ。」

無事終了して、企画部の方と、今後のくりでんについて、しばし意見交換。地元の意見としては、廃線後、今後何らかの形で保存するのか、完全になくしてしまうのか、中立の意見も含めて、意見が分かれているらしく、市としてもカンカンガクガクやっている最中らしい。

ここで、普段は物腰の柔らかな、FM 仙台の高橋さんが、「このくりでんは、今はもう、日本のどこにも残っていない踏切や、ポイント器材を、そのままの状態で使っている、本当に貴重な財産です。なくしてしまえば、もう選択肢はなくなってしまう。ぜひとも、どこかの区間だけでも残していくという方向で、ご検討ください。」と、決然とした、強い口調でおっしゃった。

高橋さんは、築館高校という、この沿線にあった高校の出身で、実際に青春時代にくりでんを使っていらしたそうで、その言葉にも、ほんとにこの電車を愛しているんだなあという熱い思いが感じられた。

僕は、ここで生活していたわけでもなく、くりでんを知ったのも2年前だし・・部外者だと思って、あんまり発言しなかったんだけど、考えてみたら、こんな風景を大切に残していくかどうかって、ここの人たちだけの問題じゃなくて、日本人の古いものに対してのセンスを問う問題なんだよなと、思えてきた。

僕としては、やっぱり何らかの形で、windy trainを作らせてくれた、この風景を残してくれたらいいなと思う。

皆さんも是非一度、乗ってみて下さい。

来年の3月には廃線です。

今日の一曲
windy train

2006年08月02日(水) 40年
栗原市役所を訪問したあと、まだ行った事のなかった最も古い駅舎が残っている、さわべ駅と、若柳駅にある、資料館に向かった。

さわべの駅は、ホンットに古かった。

外装から、中の壁に至るまで、大正時代から全く手を加えられた形跡がない。これ、レンガとか、石造りなら割とあるかも知んないけど、

もろ、木造建築です。窓枠も壁もすべてが木製。10畳ほどの、構内を突っ切ると、突然、石のホームと、錆びたレールが左右に広がる。そこで初めて、この建物の役割がわかる。

駅なんだと。

駅前の、中華料理屋さんで五目そば食べて、若柳駅に隣接している本社にお邪魔する。ここ若柳も、相当古いが、さっきのさわべを見てきたせいで、新しく見える。

この、くりはら田園鉄道株式会社の、本社も相当古い。昔は、男子寮だったところをそのまま使ってらっしゃるそうで、いかにもって言う感じの下駄箱と、まっすぐにのびる木の廊下が、時代を感じさせる。

お会いしたのが、総務課長の鎌田さんと、参事の加藤さん。お会いするのは二度目で、くりでんの写真が入ったいい感じの名刺をもらう。

「これ、せっかくこんな曲あんだから、なんか、駅で流したりするか。」

「カセットかけてな。」

かせっと。いいなあ。いいなあ。かせっとっていいなあ。そうなったらうれしいなあ。ほんとに。聴きにいこ。かせっとっていうのがいいなあ。是非お願いします。

しばしのち、鎌田さんにつれられて、二階の資料室へ。

「別の、展示会に大きいの出してしまってて、あんまり残ってないですけど。」

それでも、そこに並べられた品々は、くりでんの長い歴史を物語っていた。巨人のネックレスのような、「タブレット」という、ワッカ状のもの。これを、区間ごとに受け渡す事で、到着、出発の確認をしていたそう。ポッポ屋にも出てた?


まさに駅伝。ああ!そうか、このシステムが、駅伝に取り入れられたのか?いや想像ですよ。わかりませんよ。 

お隣が、社長室。今は市長が兼務という事で、使われていない。歴代社長の写真が時代を感じさせる。ふと見ると、そこには、男はつらいよのポスター。

「十何年前に、ここが舞台になったんです。」

撮影風景のスナップが、貼ってある。台本では、寅さんがくりでんに乗っていると、柄本明さんが演じるサラリーマンが、飛び込み自殺を図ろうとして云々。

こんな遅い電車に飛び込むのはかえっていやかもしれん。迫ってくるまで余裕あるし。逃げそう。

観よ。釣りバカ17とともに。

社名も何度も変わっている。5回目ぐらいの変更の年が、僕が生まれた昭和39年だ。そんなことをくちばしったら、「ああ、私が入社した年ですね。」と鎌田さん。ということは、私の生きてきた年数と同じだけ、彼はこのくりでんとともに生きてこられたのだ。42年。

「細倉で、鉱山が盛況だった頃が、一番乗客が多かったですね。今は何にもないですが、当時は、東京なんかからやってこられた人たちの街があって、細倉の方が栄えとったんです。文化も何も、全部細倉からやってきました。」と鎌田さん。

「細倉に行くと、家の屋根のうえに、なんか棒が立ってて、なんだろなあれ、と言うとったら、あとでわかったんだけれどテレビのアンテナで、そっから結構しばらくしてからですな、こっちの方にもアンテナたったの。」

「石越の駅なんかは、昔っからの地元のお客だもんで、1時間も2時間も前に切符買って、待っとるんですけど、細倉の人たちは、都会の人だから、10分ぐらい前に、ドドーって押し掛けて、窓口が押し合いへし合いになって、そんでも、自動販売機なんかないしね、大変でね。」

今もない。

「結局もう、さばききれんで、間に合わんから切符買わんで入って下さいって言ってね。」

と、懐かしそうに語る鎌田さん。

神は細部に宿る。そこで毎日きちんと生きてきた人だけが語れる、ディテール。

こんなにうれしそうに語れるものを、僕は持っているだろうか。

「40年どうでしたか?早かったですか?」

「あっという間だったねえ。」

「なんか、思い出に残る変わった事とかありますか?」

「いやあ、特にはないねえ。ただ、あのホームからあふれんばかりの人たちを思い出しますねえ。」

聞いてて思った。人生にそんなに多くのトピックはいらないのかもしれない。くりかえしくりかえし、同じ日々を、同じように生きてきた42年の生活の塊。それこそが、最大のトピックなのだと。この短い地上の世界での。

いま僕らがが最も学ばなければいけないことなんじゃないかと思った。

そして、来年、鎌田さんのくりでんでの仕事も終わる。43年目に。

そんな話を、曲作る前にもっと聞けばよかったと・・・

思わないんですねえこれが。

最初に石越の駅舎の木のベンチに座った時、僕は、ここで働いていた人たちの想いも、全部感じ取ったんだとおもう。言葉ではなく、なんか他の形で。

なので、鎌田さんが話してくれたような、思い出も、ちゃんとこの曲の中に入ってくれていると思います。

その日の宿にRicky さんとレンタカーで向かいながら、「windy train」を聴いた。自分が作った歌詞なのに、以前とは違った印象で聴こえてきた。さっきの鎌田さんの思い出話を聴いているような気持ちになった。

今日の一曲
windy train

2006年08月09日(水) カタメウチの8月
ライブと、キャンペーンと、新曲作成と、録音作業と、子育ての カタメウチの8月がやってきそうです。

自ずと、この日記がおろそかになるのが、単純すぎて、やだねい。

短文にて失礼つかまつっても、更新しないよりはましかとの判断で、つかまつる。

こないだ、ラジオの収録で、大泉、安田の両氏に会ってきたです。

二人とも元気でしたよ。なあんもかわらない。相変わらず、馬鹿な話を、ぶっちゃけてきました。

彼らに会うと、なんかホームバウンドな気分になれるのよねえ。こっからがんばりましょうかと。

新曲もきいていただきました。安田くんは、「この風の呼び声って言う曲の、このイントロ、10CCみたいですねえ。」と、相変わらず、洋楽好きのコメント。でも、あたってる。メロトロンなマイボイス。

大泉くんは、「あ、はしれえぼくのういいいんでぃぃぃとれええん」とさっそく、人の曲を、勝手に自分のものにして歌ってた。10年前のアニバーサリーソングから変わってない。行動が。

次の日は釣りバカの舞台挨拶やるっていってた。

んで、観た。これ書くと長くなるので、後日にまわして。

各地で、呼ばれるがままにインストアを展開しておりまして、各地で、見たっていう人からの、メールいただいております。全部読んでます。どうもありがとうございます。
体力の低下を、この激励でおぎなって、持ちこたえております。まだいける。曲も作れる。録音もつつがなくいける。ライブも乗り切れる。子供も育つ。いえい。

今日の一曲
 10cc I'm not in love

2006年08月13日(日) 19回め
こんなに続くとは、正直思ってなかったっていうか、無自覚でしたが、続いてきました。

定例ライブ。VOL19。今回は、パーカッションを入れて、3人で、夏っぽくお届けします。

2002年だっけか?始めたの。

始めて、1年ぐらいは、試行錯誤でした。メンバー増やしたり減らしたり。

今、ギター弾いてくれてる山根くんも、お客として毎回来ていたのですよ。

つっても、お客さんの85%は知り合いだったし。まあ、飲み来たついでによってってよ、的なノリでね。

平均15人ぐらいだったなあ。

もともと僕が自分の活動を再開するにあたって、ライブから始めんのがいいんじゃないかってことで、RICKYさんが、知り合いを通じて7thfloorを見つけたんです。

その知り合いって言うのが、秋田さんという方。

やる前に、下見に行った時に始めてお会いしただけだったんだけど、確か僕よりか2つか3つ下の、それでいてギタリストの古川昌義くんのマネージメントやってる会社の社長さんでした。

それで、次にお会いしたのは、一回目のライブの日で、アンコールでゴッホやってる時に、正面の突き当たりで、誰よりもノリノリで踊ってくれてるのが見えました。

「すげえいいじゃん。なんで今までやんなかったの、ライブ。」と、RICKY さんにいってくれたらしいです。

その秋田さんが病気で亡くなられたのが、翌年の、春でした。

クリスチャンだった秋田さんの葬儀は、西麻布の教会で行われました。古川くんが棺の横で、ずっとギターを弾いていました。抜けるような青空だったのを憶えています。

そんで、出棺のときに、奥さんが秋田さんに向かっていった言葉と声が今も忘れられません。

「ずっといっしょだからね。」

別に、つきあいが長いわけでもなくて、ただ、ライブハウスを紹介してくれただけなんですが、僕としては、あの、お客もまばらな客席の奥で1人おどりまくっていた秋田さんの姿が、よみがえってきて、そこに、奥さんのその言葉が聴こえてきたもので、

なんか自分の中で、わき起こる衝動みたいなものがあって、そうなると、どうしても曲作りたくなってしまって。

ちょうどその時に作りかけていたメロディーがあって、その曲の歌詞に、その時の自分の中に巻き起こった気持ちを込めさせてもらいました。

「君が好きな理由」

ライブと、CDになったものと、終わりの歌詞がちょっと違うのも、自分の中であの出来事が、結構生々しかったせいでもあり、勝手に曲の題材にしてしまった事への後ろめたさもあり、聴く人に、シンプルなラブソングと受け取ってもらう余地も残したかったって言う事もあり、

ああなりました。

あれから3年経って、もう言っていいかなと思って書きました。んで、書きながら思う事は、奥さんのあの言葉どおりに、秋田さんはきっとずっと一緒にいるんだろなって思います。比喩的な意味ではなく、ほんと、普通に。

今回のライブは、その7th floor でございます。

秋田さんも聴いてくれてたらいいなって思います。

今日の一曲
GOGH  樋口了一

2006年08月18日(金) 花火
第19回定例ライブも終わりました。

満員御礼でございました。ご来場ほんとにありがとうございました。様々なお中元いただきました。福江島帰りのお客さんから「治安孝行」。京都の黒ごまのおたべ?。それから、美しい絵本。Tさんの田舎のトウモロコシの話と、僕の帰り道の話が両方織り込まれたような、ストーリー。子供と読ませていただきます。

7th floor きれいになったね。ほんと。楽屋も。

本番前の7時半ぐらいから、神宮で、花火が始まった。何の関係が?とお思いか。

見えたんですよ。客席から。

あれはよかったですね。3曲目ぐらいまで、上がっていたよね?私は見てませんが。

今回参加してもらった、パーカッションの柳田くん。偶然なんですが、山根くんとは兄弟以上のご関係。

とある著名なパーカッショニストの方の、3番4番弟子。少ないギャラを分け合って、飯食ってた、苦労をともにした、ご関係。

結果、夏らしく華やかに行けたですよね。やっぱりリズムがあると楽だなあ。

今回の反省点は「歌詞」。

とんだとんだとんだとんだとんだとんだとんだとんだとんだ。

まわっていれかわってやりなおしてかわる。

ただ、以前よりもとんだり間違ったりしたときのショックが、歌そのものに響かなくなっては来ました。「この場のこの時だけでしか聴けないあたらしいかしです」ぐらいの図太さでやって参りますので、どうかおおらかな気持ちで聴いてやって下さい。

正直、夏風邪ひいてました。

んが、しかし。歌は伝わったんじゃないかと思います。おそまつながら。

調子悪い→だめだ→うまくごまかそ→さっさとやっちゃおう→ほらやっぱだめだった

駄目駄目スパイラルという落とし穴、日常の様々な局面において存在すると思うんですが、今回これだけはさけたかった。

「所詮肉体という重い鎧を使用した表現活動の、不自由さがちょっとましただけ」ぐらいな不埒な開き直った心持ちもこんな時には必要だなと、勉強になりました。

簡単に言うと、「逃げちゃ駄目」ってことですね。

花火もあったし、パーカッションも入ったし、そんな事情で僕も気合い入っていたし、いつもより、みんなも熱かったねえ。まるでなんかのライブみたいだったぜ。

らいぶだっ!

おかげで、2002で、ピック砕ける記録をまたまた更新しました。

ありがとう。

次回は、記念すべき20回です。

今日の一曲
とんでとんでとんで・・・・・

2006年08月23日(水) 北海道
北海道シリーズは盛りだくさん。

甲子園決勝の瞬間、こっちはインストア。

果たして初の、お客ゼロを体験したのか!?

ジャンボリーは見に行けたのか?

うれしーとは話ができたのか?

今日の一曲
駒大苫小牧校歌

2006年08月27日(日) かけこみかきこみ
昨日の小田原、たくさんきてくれてありがとう。

下り坂だった体力も、ここに来て回復傾向にあります。

今日は、池袋。

がんばるぞう。

PSメールありがとう。全部読んでます。リクエストの参考にもしてます。

今日の一曲
サザンオールスターズ 慕情

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