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2005年12月01日(木) 九州横断〜熊本2〜
その日の午後に待っていたのは、仕事というか...微妙ですが、ある頼まれごとがあって、僕らは市内にある僕の出身予備校「壺渓塾」に向かった。

こけいじゅく、と読みます。

実は、1/6の夢旅人2002 が、この予備校のCMソングになっているそうなんです。

「世界中を僕らの涙で埋め尽くして」→今年のの合格発表。
「いつの日にかきっとまた南風が歌いだす」→来年の合格発表。

うん。確かに。はまる。

安定したレールをたどってきた高校時代までから、初めて暫定的に社会のサイクルから外れる約一年。かそこら。

僕にとっては、貴重な一年でした。そこからずーっと外れっぱなしじゃねえのかっていう話は置いといて・・・。

高校の、最終成績は、450人中444番だった。

ぞろめだ・・・っていうのを覚えている。

その当時僕の中で、前回書いた中学二年の時の夢はかなりリアルに膨らんでいた。あれから高校に入り、念願どおりギターを手に入れ、バンドを組んで、曲を作り始めていた。

リアルッつったって、高校生のバンド少年の描くありふれた夢でしかなかったですけ
ど。

んで、僕は必死に勉強した。3科目。

なんでだ?音楽やるんだったら、そのまま東京出て行けばいいじゃないか。という突っ込みどうもありがとう。

なんか大変そうでしょが。それって。フリーターやって、メンバー集めて、って。

で、当時からずるかった僕は、大学いくっていう大義名分を得て、親の公認状態で、援助を受けながら、音楽をやって行こうと画策していたのでした。自分の夢に自信がなかったんでしょう。

目指す大学はすべて東京。選ぶ基準は、自分の好きなミュージシャンが、在籍していたかどうかってことだけ。佐野元春→立教 山下達郎→明治てなかんじ。

今思えば、浅はかで、幼い。東京でてって、結局自分が嫌だと思っていた、フリーターバンドマンコースをひた走る結果になったことでも明らか。

ついさっきまで、まだあどけなさの残る中学生相手に、校歌なんて歌っていたのに、二時間後には、予備校生相手に生音ライブだ。PAなし。人間て大きくなるんだなあ。4、5年で。

さっきまでとは明らかに違うノリの中、地声で、ゴッホ、朝花、1/62002、とやった。

前日の竹田からあまり寝ていないこともあって、でてきたでてきた脳内モルヒネ。ふわーっと気持ちよくなってきた。「俺は縁起がいい!!」と何の根拠もない事実を連呼したあげく、微妙な時期の揺れる予備校生に、無理矢理の1/6のコール&レスポンス。

何の根拠もないが、さっきの、浅はかな画策のために必死で勉強した結果、444番だったリョウイチ君は、結果5勝一敗で、勝ち越した。のであながちうそでもない。

普段いろんな事をがまんしているであろう彼ら。予想外に大声で返してきた。

いいね。いい〜ね。

全員合格。まちがいなし。

当時もお世話になった、職員の方々に、お土産なんかもらったりして、ありがとうございました。またきます。

ちなみに僕と同じ、
済々廣高校→壺渓塾→立教大経済→中退→ヤクザな世界

というルートをたどった有名人がいます。くりいむしちゅうの有田くんです。
彼の予備校時代はどうだったんでしょうか。

そして、私はスタッフと別れ、実家に泊まり、ひとり長崎の島へと向かいました。

今日の一曲
夏の陽 山下達郎

2005年12月05日(月) 九州横断〜福江島〜
クリックで大きくなります。僕が向かったのは、長崎県の五島列島の、一番西にある福江島という島だった。
博多からプロペラ機で、約40分。人口3万人程度の、割とでかい島。30km四方。

向かった目的は2つ。みみらくの伝説と、チャンココの踊り。

これだけでわかった人、民俗学者並。

万葉集にも歌われている、みみらくの島。遣唐使の時代、この福江島の、三井楽(みいらく)という場所が、遣唐使船の日本最後の寄港地だった。今生の別れとなることを覚悟して、旅立っていった人々への思いがその伝説へとつながっていたのかどうかはわからないけど、みみらくの島へいけば、亡くなった自分の近しい人が、しばらくの間海の上に現れてくれるという噂が、都にまで伝わっていた。

その噂を聞いた、蜻蛉日記の作者、藤原道綱の母が、亡くなったばかりの自分の母に会いたいという思いを、日記の中に書き記している。

ふう。つかれた。漢字が多い。

もう一つが、島の中心部、福江市の各所に伝わる「ちゃんここ」。

1000年以上前から、この島に伝わる、念仏踊り。
「お〜お〜おもんで〜。お〜も〜おもんで〜。」というかんじのペンタトニックスケールの節のついた念仏を唱えながら、藁っぽい腰蓑をつけて、首から下げた南洋風の太鼓をたたきながら、鐘の音とともに7〜8人で舞い、初盆の家々を回る風習。念仏の語源は諸説あるが、よくわかっていない。

死者との再会。死者への鎮魂。この二つの言い伝えと風習に、どうしてもじかに触れたくて、この島に行くことを決めたんです。

ていっても、チャンココはお盆だし、みみらくの伝説は目に見える訳じゃなし、11月の終わりの、どシーズンオフに、泊まるところはあるのだろかと、出不精の言い訳スパイラルに陥りそうになりながらも、九州横断の最後の締めくくりにとむち打った。

いわゆる取材旅行などというものなどやったことのない私。そんなの、現地に行って酒飲んで終わりだろうと、思っていた。朝花の、奄美諸島へも行ったことがない。
しかし今回はなぜか、そこにいきたくなった。

僕の母親は、天草諸島の、鬼池という、隠れキリシタンの里の出身で、小さい頃に、よく連れて行かれた。
僕の顔もそうだけど、母親の方の家系は、みな、ポリネシアン系の、彫り深色黒な顔立ちをしている。そこにいた、ぼくのひいおじいさんの金吉じいさんは、マイルスデイビスみたいな真っ黒なかおをして、船を作る、鍛冶屋さんだったそうな。

んで、昔から、九州に隣接した島っていうのに、何となく興味があった。といえなくもない。

福江空港に降り立って、レンタカーを借りて、まず向かったのが、観光協会。チャンココの映像が入ったビデオを貸してもらう約束を、前もってしておいた。そこで聞いた、歴史資料館へいった。

よくある、ボタンを押すと、お目当ての映像が流れる資料VTRで、チャンココと、その大元といわれている、嵯峨島のオーモンデーという踊りを交互に20回ぐらいみた。

その音楽を知ってから、6年かかってようやくみれた、動くビートルズ。古い映画館のホコリっぽいにおいを思い出した。

写真をもとに、何度も何度も繰り返し頭の中に描いていた、念仏と、踊り。
もっと、のらくらした重々しいものだと思っていた。
現在この踊りを受け継いでいるのは、地元の青年団の若い衆なのだそうで、その舞も、若々しく、颯爽としていた。
顔を、笠から垂らした布で隠し、太鼓を叩きながら、たおやかに舞うその姿は、何かの使命を帯びて、自らを滅し、ひたすら鎮魂の使者としての役目を全うしようという、忍者を思わせる、ストイックさがあった。

旅に出る前、字面だけで知っていた、念仏の文句に勝手に節を付けて歌っていた。少し驚いたのは、結構本物に似ていたことだ。踊るエリアで、結構細かく節や文句は違うらしいのだが、そこで聴いた念仏は、イメージしたものに近かった。語源のわからない言葉についた、エスニックな節と、颯爽とした舞が醸し出す、何ともいえない世界。何故か、学生時代に読んだ筒井康隆の可笑しくも不気味な短編を思い出した。もっとずっと見ていたかったが、日が高いうちに、三井楽町に行きたかった。

みみらくの伝説の舞台となる浜辺があるのではないかという根拠のない、推測。
今回前もって、当たりをつけておいた浜が二つあった。

一つは、384号線で福江市からいくと、三井楽町の入り口二あたる、白良ヶ浜。もう一つが、三井楽町の出口にあたる、高浜。

もう午後3時になろうとしていた。

今日の一曲
sting They dance alone

2005年12月09日(金) 九州横断〜福江島2〜
同じ島でも、三井楽町までは、福江市内から30分ぐらいかかった。山の中を走っていたかと思うと、突然海に出たりと、変化のある道を走って、町の入り口についた。

山側に、万葉公園というスポットがあり、その正面を下っていくと、現れた白良ヶ浜。

意外にも、人工的な湾だった。海岸沿いに、コンクリートの塀が続き、その下には、テトラポットが敷き詰めてある。浜というより、港に近い。満ち潮だったせいもある。この辺は、台風の常連コース。景観ばかりに気を使ってはいられない。

ここはちがうな。

そんで、向かったのが、もう一つの浜。高浜。

結果的に僕は、そこから次の日の午前中までのほとんどの時間を、その浜で過ごすことになった。

それは、200メートルぐらいのトンネルを抜けると、不意に右手に現れた。見た瞬間、「おおおおお〜」と吠えてしまった。

その浜は、今まで通ってきたどの景色とも違った。なんか、人目につかないところにこっそり作られた、つくりもののようだった。あんまりできすぎてて、誰かが創ったような景色ってあるでしょ。

左端の道から、浜におりて、真ん中まで歩いてみる。

測ったようにきれいな扇形。

貝殻が浸食されてできた、白砂に押し寄せる水は、南洋の海に近いエメラルド色なんだけど、南の海独特の、解放的な感じはない。両脇に囲むように迫る、山のせいもあるんだろう。閉じてそのまま完結してる。

洋というより和。 和というより倭。紀元ひとけた世紀なかんじ。昔の一万円札。

遠浅の平坦な砂浜は、角度をつけることなく沖までつづき、そこに忍び込むように海が始まる。そして、波はあくまでもゆっくりとゆっくりと低いB.P.Mで、幾重にもグラデーションを作りながら、最後まで砕けることなく低い姿勢で、砂浜を愛撫するかのようにやってくる。

水平線の上には雲が踊り、そこから差し込む光が、制御不能のスポットライトのようにきまぐれに沖を照らす。着いた時より、沖の方に日が傾いたせいで、海が色をなくし始めた。その道1000年の職人の手による、アルミニウム細工。ほんの少しの水色と、深緑色。

いまやそこは、鏡の舞台のようだった。鈍く輝く海面は、何かの登場を暗示するかのように、風音とともに即興の館内BGM を流している。

客がいようといまいと、毎日同じように繰り返されてゆく悠久のロングラン。

今日の客は僕独りだ。

ソラリスの海のように、その舞台に登場するのは、観客の心の現実。

そうであったかもしれないもう一つの現実。

失われてしまった誰かへの想い。もしくは失われてしまった誰か。

いつのまにか僕は確信してしまっていた。みみらくの伝説は、ここで紡ぎだされたと。1000年以上前に、ここに立った誰かから。

こうなると、もう事実がどうであったかとか、どうでもよくなってしまう。だって決めちゃったんですもの僕。

なんて考えてるうちに、舞台は、色を取り戻し始めた。

クリックで大きくなります。ここは。日本列島エリアで、最も遅く日が沈む場所。さっきまで隠れていた太陽が、雲に産み落とされるように、水平線との間にひらいた空に、下の方から顔を出し始めた。

ホワイト、レッド、シルバー、ゴールド、オレンジ、ピンク、イエロー、バイオレット。そのすべての色。そのどれでもない色。この色を表す言葉を、僕は持ってません、ゴッホさん。

そして、本日の主役は、舞台の上に完全にその姿を現した。かと思っていたら、瞬く間に円が壊れ、Ωの形にひしゃげて、色彩を水平線上にぶちまける。ここからは、容赦ない。全く躊躇することなく、半分になり、その半分になり、頭だけになり、最後の一点のきらめきを放って、消えた。

その、数十秒の大団円を、たった独りで口をあんぐり開けたまま、見とれていた。クールで、媚びない、カリスマ千両役者の去り方だった。

沖に現れる懐かしい人は、しばらくの間だけ、現れてくれる。

この伝説の紡ぎ手は、あの沈み行く太陽の真ん中に、自分の大切な人を見ていたのかもしれない。

ふと気づくと、あたりが薄暗くなっている。当たり前だ、太陽沈んだんだから。街で生活していると、つい忘れがちなこの事実。周りには、いっさい灯りはない。ということは、僕はたった独りで、もうすぐ闇に覆われるということだ。突然怖くなってきた。日が暮れて、自転車が壊れて、半泣きになって家路を辿る子供時代がよみがえる。

まだ、宿の場所も知らない。

今日の一曲
君が代

2005年12月20日(火) あした
正確には今日。今年最後の定例ライブでございます。

九州連載の途中ですが、前回書いた、福江島の高浜をみみらく伝説の地と勝手に思い込んで作った曲を披露します。

ゲストもいます。去年のクリスマスライブには、うちのアレンジャーが総出で、やりましたが、今回は、歌のゲストでございます。

お楽しみに。

それじゃあ、お会いできるのを楽しみにしてます。

今日の一曲
僕のおくりもの オフコース

2005年12月21日(水) ありがとう
本年最後の7thライブきてくれた人、どうもありがとう。

いやあ、楽しかったね。

結構ぎっしりいっぱいいっぱいになってて、窮屈ですんまそんでした。

でもその分、みんなの熱気が直に伝わってきた気がします。

ゲストのゆーこも熱唱してくれて、すっかりクリスマスらしい彩りが加わって、よかったなあ。またきてや。

新曲。「みみらく霊歌」いかがでした?

九州弁で歌を作ったのは初めてのことでした。演歌とも、ポップミュージックとも、民謡ともいえないような曲にしたかったんですけど、皆さんの耳にはどんな風に届いたでしょうか。

MCで話した、チャンココを巡っての出会いは、九州横断の締めくくりとして、書こうと思っています。

おたのしみに。

今日は、レコーディングです。

お! どの曲か?

昨日きた人はわかる。 重ねてお楽しみに。

今日の一曲
IF I Ain't Got You Alicia Keys

2005年12月26日(月) 九州横断〜福江島3〜
日も暮れかけて、向かったのは、三井楽町の中にある民宿「登屋」。
いろんな人に道を聞いて、やっとたどり着いた。

お客は、僕1人だろうと思っていたら、釣り客らしき人が1人、それから、目的不明のご老人が1人。
なんでわかったかっていうと、釣り客の人は、車を止める順番を巡って、明日どっちが早いか相談したときに釣りだって言ってた。ご老人は、僕の泊まってる部屋を、トイレだと思って入ってきた。

サッシの引き戸の部屋の入り口には、内側に何故か釘がぶら下がっている。よく見ると、サッシに穴が開けてある。差し込むと、引き戸が開かなくなる。

なるほどね。

順番にお風呂に呼ばれ、上がって部屋で待ってると、「お食事です。」と、女将さんの声。
下に降りていくと、20畳くらいの広い部屋のど真ん中にぽつんと、一人分。
見てびっくり、メジナが丸ごと一匹お造りに。もう一匹鯉のようなお魚が、煮付けに。サザエのつぼ焼き、おひたしに、野菜の煮物。それから初めて見た、メフィラス星人みたいなでかいエビが丸ごと二匹。

クリックで大きくなります。こんなに食えねえ、と思いながら、気がつくと全部食べてた。当たり前だが、新鮮でうまい。
女将さんに訊いたら、メフィラス星人は、こっちでは、パチエビという名前らしい。船にあげると、パチパチ音を立てるところからついたらしい。写真を見たTさんによると、一般には「うちわえび」で知られていると。知らんかった。

部屋に帰り、今日一日を思い返してみる。「シーン」って言う音が、うるさいくらい静か。外は闇。

昼に歴史資料館で見た、チャンココ。日が沈むまでいて、みみらく伝説の場所だと確信してしまった高浜。目をつむると、つい3時間前の夕日の大団円がよみがえってくる。

僕はとしては、この二つの要素を一つの曲にまとめあげたいと思っていて、実は、ここに来る前に曲のアウトラインは出来ていた。後は、現地に行って自分の目で見て、感じて、最終的に煮詰めていこうと思っていた。

実際来てみて、自分が思い描いていた以上に、曲のイメージにはまる部分が多いし、歌詞に反映できそうな、来なければわからなかったようなディテールも知ることが出来た。

ディテールを知ると、気になり始める、リアリティ。

みみらくの地、三井楽と、チャンココの踊られている福江市は、車で3、40分の距離がある。安易に結びつけていいものか?三井楽に、チャンココに類するものはないのかスーパーのおばさんとか、女将さんとかに訊いてみたんだけど、こっちには獅子舞のようなものしかなく、ただ、チャンココの原型と言われているオーモンデーという念仏踊りが、同じ三井楽町の、嵯峨島というとなりの島にあるということだった。

オーモンデー....うううん。こういうのって、曲作る人にはわかると思うんだけど、メロディーと言葉が熱烈な相思相愛状態にあるとき、理屈を優先して、無理矢理新しいパートナーを連れて来て、「今日からこの人を恋人にしなさい」つったって、納得してもらえるもんじゃないんだよね。ファーストアルバムに収録の*この曲*のタイトルも、サビの頭の歌詞で、全く意味はなく、かといってどうしてもほかの言葉にかえることができなかった。

やっぱり、チャンココでいきたい。この名前の響きに最初に惹かれて、曲を作り始めたようなものだから。

明日、日の出前に高浜に行って、それから、もう一度チャンココの伝わる福江市内に行ってみよう。4時過ぎには飛行機が飛ぶ。ぎりぎりまで、動き回ろう。

そしてそこで、ささやかだけど、すてきな出会いが待っていた。

今日の一曲
*Something to me* 樋口了一

2005年12月28日(水) 九州横断〜福江島4〜
早朝の浜は、昨日とは違う顔を見せていた。遥か沖まで潮が引き、波のグラデーションが刻印された、細かな畝のような遠浅の砂地がむき出しになって、遠くの方で昨日よりやや荒い波が、人ごとのように砕けていた。

日の出前の空は、薄いバイオレットピンクに染まり、それが水に移り込んで風景全体がすみれの花びらの中に匿われているようだ。「昨日の舞台?しらないなあ。今日も演るかって?どうだろうねえ。」

開館前の劇場の、無愛想な支配人に、はぐらかされているような気分だ。「まだ、役者さん入ってないからね。私に訊かれてもわからないねえ。」

そして、待つこと1時間、主役は昨日とは反対の南東の山側から、不意に姿を現した。見る見るうちに、空の色が変わっていく。今日も、あの圧巻のエンディングへ向けていつもの公演の始まりだ。

10時ぐらいまでだったか、潮が昨日と同じぐらいになるまで、高浜にいた。今日は雲もなく、海の色も、明るい。ここは夏には、海水浴客で賑わうんだということがよくわかる、優しい顔をしている。

僕が、昨日の午後遅く訪れたときは、美しいけれど、どこか陰のある、いわくありげな顔をして迎えてくれた。あの時間帯に、あの潮の満ち加減で、あの雲の量で、あの光の色で出会わなかったら、僕は、ここをみみらく伝説の浜辺だと思わなかったかもしれない。何かに出会うべくして出会う時、そこには多くの偶然の輪が踊る。それが人であっても、風景であっても。 


再び歴史資料館。平日で誰もいない館内の資料VTRの前で、チャンココの踊りを何度も再生しながら考え込んでいた。とりあえず、実際にこの踊りを踊っている人に会って話を聞きたい。隣のコーナーには、各地区のチャンココの衣装を着たマネキンが立っていた。地図を見ると、ここから一番近いのは、上大津地区というところだ。

車をスーパーマーケットの駐車場に停め、坂道で構成された上大津の集落を、ビデオカメラ片手に当てもなく歩き始めた。しばらく歩くと、空き地でおじいさんが二人座って話をしている。「すいません。ちょっとお訪ねしたいんですが、チャンココの踊り踊られたことあります?」ぶしつけなのはわかっていたが、時間もないし、どうせ異邦人なんだから、変に溶け込もうとするよりいいかもしれないと思った。

「踊ったこつはなかねえ。」「詳しいこつば知りたかなら青年団に訊けば教えちくるって思うがね。」

丁寧にお礼を言って、別れた。青年団っていうのはどこにいるんだろう。平日の昼間はやっぱり仕事してんだろうな。昨日から、色んな人にものを尋ねてばっかりいる。誰も詳しいことは知らない。ステージ以外では基本的に人見知りな僕の、対人関係積極エネルギーがそろそろ切れかけ始めていた。♪ひとりぃきりではぁできないこともぉ タフな笑顔の仲間はどこいったああ。あとにじかんでひこうきがとぶぞお。 

ぶつぶつと独り言をいいながら、半ば投げやりになりながら、道なりに坂を上って、降りて、元のスーパーマーケットに戻ろうとしていた時、

「こんにちは!」

と元気な声が飛んできた。左を振り返ると、ピンク色のトレーナーを着た4歳ぐらいの女の子が自転車にまたがってこっちを見て笑っていた。

今日の一曲
girl Beatles

2005年12月29日(木) 九州横断〜福江島5〜
「こんにちは!」

「こんにちは。」

「すいませ〜ん」

「??なんで、すいませんなの?」

「自転車のったまんまで、うしろむいてこんにちは言うてすいませ〜ん。」

彼女の言葉が、その口調と裏腹に、あまりにも大人びていて、それが自然でかわいくて思わず立ち止まったら、すぐに駆け寄ってきた。

「ん。」と片手を差し出す。籐編みの入れ物みたいなものに、砂が詰まってる。

「どうしたの?」

「つくった。」

「つくったの。すごいね〜。」

何の屈託もなく、ニコッと笑って、それだけで、仲良くなった。
そこは彼女の家の前で、道路に面した庭で遊んでいたところに、僕が通りかかったのだ。

「名前なんて言うの?」

「ちーちゃん。」

「ちーちゃん、チャンココって知ってる?」

「うん。」当たり前のようにうなずく。

「どんな人が踊りよるか知っとる?」

「やまざきまいちゃんとこのお父さんが踊ってたよ。後は知らん人が踊ってた。」

予想もしなかった所から、突然もたらされた有力情報。

「あれほら、踊りながらなんか言うでしょが、あれなんて言いよっとか知っとる?」

「う〜ん、そういうことはわからんけど。」突然また大人っぽい表情を作って、眉間にしわを寄せて首をかしげる。

「それば、さがしにきたと?」

「うん。」

「まんまえさんとこで歌ってたけど、ちゃんここの,,,」

「まんまえさん ってお店かなんか?」

「ううん。あれ、ほら、まんまえさん。まんまえさんとこで踊ってたの。こないだやってたけど... あぶない。」突然母親のような口調で、注意される。車が、脇をすり抜けた。

まんまえさんっていうのはなんだろう?きっとこのあたりじゃ、そういえばわかるなにかなんだろう。彼女にとってみれば、まんまえさんは、まんまえさんで、ほかに説明しようのないものなのだ。落ち着け。落ち着け。

「えい!」ちーちゃんは、さっきの砂を、節分の豆蒔きみたいに道路に蒔きはじめた。

「今日は一人で遊びよっと?」

「.......」

「おじさんね、熊本から来たんよ。熊本って知っとる?」

「くまもとてしらん...」

「そうか...ねえ、ちーちゃん、やまざきまいちゃんちはどこにあるとかな?」

「あのね、えーとね、ここんとこをね、こーいってぇ こーいってぇ こーいったとこがそう。」

坂の上の方を指差して、ジェスチャーまじりの熱のこもった説明に、それじゃわかんないよとは言えなかった。一本道だし、表札見ていけばわかるんじゃないか。

「やまざきまいちゃんのお父さんは、今日はうちにおらすかね?今日は月曜だけん、おらっさんか。働きよらすどね。」

「う〜ん。」また大人の表情になると言った。「ちょっとまっちょって。あたしもいっしょにいくけん。」

「ちーちゃん。それはだめだよ。」

「なんで?」

「知らんおじさんについていくと、お母さんが心配するもん。」

「しんぱいせんからだいじょうぶよ。」

一緒にいきたいのは、やまやまだけど、それはやっぱりだめだろう。だいたい、ビデオカメラ持った見知らぬおっさんが、こんなちっちゃな女の子とこんなに長く話してる時点で、東京だったらまちがいなく警察に通報されてる。考えてみたら悲しい話だ。ちーちゃんとしてみたら、純粋に親切で言ってくれてるのに、こっちの方からは、そんなことじゃだめだ、知らない人間はまず疑ってかかれって教えてるようなものなのだから。

「ちーちゃんが教えてくれたけん、一人でいけるとおもうよ。じゃあちょっと行ってみようかな、どうもありがとうね。バイバイ。」

「...バイバイ。」明らかに一緒に行きたそう。「ちーも、これば蒔かんばいけんから...こっちにいこう。」と、下を向いて、僕の行く方に、砂をまきながらついてくる。

なんか...一瞬、泣きそうになった。

伊豆の踊り子のラストシーンで、踊り子と別れた主人公の学生が、船の中で号泣する気持ちが、はっきりと実感できたような気がした。悲しいんじゃない。うれしいんでもない。なんだかよくわかんない。こんな気持ちを表現するために、歌があるんだろう。

*やまざきまいちゃんのおとうさん*

ちーちゃんがくれたプレゼントだ。

今日の一曲
プレゼント 玉置浩二

2005年12月30日(金) 九州横断〜福江島6〜
p.m3:50 福江空港。20分後の搭乗を待っている。

お土産を買った。治安孝行と書いて、チャンココと読むお菓子。柿色の包装紙には、例の衣装を着て踊る人の、版画風の絵が印刷されている。

あれからどうなったか。

結論から言うと、やまざきまいちゃんのおとうさんには会えなかった。
ちーちゃんに教わった方に、歩いてみたけれど、どの家にも表札というものがない。人も歩いてない。調べようがない。レンタカーを返す時間も、差し迫ってきた。

いったんそこであきらめて、スーパーにもどり、車に乗って帰りかけたんだけど、いや、せっかくあんなレアな情報をもらったんだからと、もう一度ちーちゃんの家の前まで、車で行ってみた。ちーちゃんはもうそこにはいなかった。

家の呼び鈴を鳴らそうとしたんだけど、それらしいものもない、しかたがないので、戸を開けて、「ごめんくださーい。」と告げた。

「どなたですか。」さっきとはトーンの違うおそるおそるな声が、奥から聞こえる。ちーちゃんだ。自分の4歳の頃を思い出す。「どなたですか」なんて言えたか?

「ちーちゃん。ごめん。チャンココのおじさん。」と言うと、どたどた走る音が聞こえ、ちーちゃんがやってきた。「どうしたん?」
「あのね、やまざきさんとこのお家の場所をね、お母さんに詳しく訊こうと思ってきたんだけどね、お母さんいまおるかな?」
「うん。ゲームしよるよ。」
「ごめん、ちょっと呼んでくれんかな?」
すると、満面の笑みを浮かべ、「うん!ちょっとまっちょって。」と、再び奥へ走っていった。

長髪に無精髭、自衛隊色のウインドブレーカーという怪しさいっぱいの恰好だったにもかかわらず、ちーちゃんが、前もって話をしていてくれたおかげで、お母さんは、ていねいに道を教えてくれた。
お母さんにお礼を言い、「よかったね」っていう顔で笑っているちーちゃんに、もう一度バイバイして、やまざきさんの家に向かった。

石の階段を上り、玄関までたどり着いたんだけど、やっぱりここも表札も、呼び鈴もない。ガラガラッと引き戸を開け、「ごめんくださーい。」
「.....」再び、大きめに「ごめんくださーい。どなたかいらっしゃいませんか。」「.....」だめだ、返事がない。

表札もなく、呼び鈴もなく、不在でも、鍵はかかってない。島と行っても、ここは福江市の中心部、人口3万人の都市だ。それでもこうだっていうんだから、住んでいる人たちのテンションが、伝わってくる。ちーちゃんがあんなに人なつっこい笑顔でいられるわけだ。

タイムアウト。やるだけのことはやった。いや、俺にしては、信じられないぐらいの行動力だった。
もともと、この島の海さえ見られればいいと思って来たのだ。海に立って、みみらく伝説のなごりを少しでも感じられればいいと。

僕にとって、あの高浜の海に出会えたことはほんとに大きかった。あの浜に沈む夕日は、多分一生忘れられないシーンになるだろう。この歌を歌うたびにあの浜を見ながら、風に吹かれたことを思い出すだろう。

でも、今度の旅で、僕の心に一番深く残ったものは、海でも、夕日でも、風でもない。

最後に出会った、ちーちゃんの笑顔だ。

三井楽から離れていることで、歌詞の中に入れていいものかどうか迷っていた、チャンココ。彼女と出会えたことで、僕の中で迷いが消えた。

これも僕の勝手な思い込みですけど、ちーちゃんは、きっと、ちゃんここのちーちゃんなんです。歌の神様が、僕を彼女に引き合わせてくれて、迷いを振り払ってくれたんだと、そう思えて仕方ないんです。だって、僕が、もうあと少しあの場所を歩くのが早いか遅いかしていたら、おそらく永遠に彼女に会うことはなかったのですから。

やまざきまいちゃんのおとうさんには会うことができなかったけど、それはそれで、あの踊りの持つ、神秘性、匿名性が僕の中で保たれたままでいることができたと、都合のいい方に解釈しています。

歌を作る上で、最も大切なこと。

誰かと出会う幸せを感じられること。これに勝るものはありません。

そのことに気づかせてくれたちーちゃんに、心から感謝してます。どうもありがとう。

空港までは、レンタカー会社の人に送ってもらった。杉本哲太似の、寡黙で無愛想であることが、その善良さを浮き彫りにしているような人だ。
「地元の方ですか?」
「はい。そうですが。」
「チャンココ踊ったことあります?」
「いや...僕はないですが、毎年盆になると、踊りよるのを見ますねえ。」
「高浜は、きれいかですねえ。」
「はい。あそこは....きれいかです。」

交わした会話はそんなものだった。来てよかったなあと思った。

      *       *       *

いま、僕の手元には、高浜で拾った、半分浸食された巻貝の残骸がある。

また、今度はお盆の頃に行きたい。あの踊りをじかに見に。

そのとき、ちーちゃんに、会いにいこうか、どうしようか。

君のおかげで、この歌ができたよ、って言いにいこうか、やめとこうか。

今日の一曲 
みみらく霊歌 樋口了一

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