Message
2005年11月06日(日) つちのこ
今から、姫だるまの里 ちくらくのおまつりにいってきます。
それから、熊本で、母校ライブ、それから、ちょっと、島に。

島の話は、帰ってきてから書きます。

タクシーがくる。です。

今日の一曲
だるまさんがころんだ

2005年11月25日(金) 九州横断〜大分〜
この一週間は、久々に、濃い一週間でした。

私から、2kgの体重を奪っていきました。

結果的に、九州を横断することになった今回の旅、まず最初に着いたのは、大分空港。そっからレンタカーを借りて、Rickyさんと私、のちほどTさん合流で、最終的に熊本までの道のり。

大分は、うちのスタッフの、自制心を奪う土地。ていうか人。

3年ほど前、ひとりでこの地を訪れた、Tさんは、泥酔したあげく、きがついたら全裸で、携帯を胸のところに貼付けたままねていたらしい。携帯には事務所の番号が。しかしかけるにはいたらなかった。

Rickyさんもやられた。私共々宮崎行きの列車が発車する10分前に、Tさんからの電話で起こされた。怒濤のスピードで、荷造りして間に合った私。
しかし、Ricky さんは極度の低血圧のため、目が覚めてから1時間ぐらいは、11月下旬のゴキブリよりも動きがままならない。

結果乗り遅れ、宮崎に遅れて入ったあげく、FMで、コンビニで、もどす。

この一連の失態の仕掛人が、大分の顔と言うべきDJの、Dr.マーサ。東芝時代から、お世話になってる。

今回も彼の、FMの番組の、公開録音。どうなることやと思いきや、マーサも年を取った。

今回は、割とおとなしく飲んだ。その先の行程に気を使ってくれたのか、行きつけのいい感じの駄菓子屋さん風の居酒屋で、ホッピーを軽くイチニ杯。

そこに、合流してきた、お医者さんふたり。

医師会の帰りとかで。

そんで、思い出したのが私のおじさん。

大分で、結構大きな胃腸科の専門病院をやっている。

んでその話をしたら、そこにいた店の人やら、スタッフやらが、口々に、「あそこはいい。」「うちの親は、そこの院長に命を救われた。」と、いいはじめた。

へええええ。と、初めて聞くおじさんの評判。

うちのおっかさんの弟であるそのおじさんは、ちょっと変わってると言えば変わってる。

小さい頃、よくうちで、正月におせち食べながら、「去年一年で私が摘出した病巣の数々」というスライドを持ってきて、居間で上映会をやっていた。みんなみながら平気でおせち食ってた。

私が高校生の頃、自分の親、すなわち私の祖父の胃がんの執刀をした。自分の親の手術をする人っていないらしい。あんまり。めったに。

そんで、兄弟親戚全員集合している手術室の扉があき、「おわった。」といいながら、手に何か持ってる。

手に持っていたのは、親父の胃袋。それを兄弟みんなで取り囲んで裏返したりしながら、「ああ、ここか。」とかいいながら、見ている。私も見た。胃だった。

その横を、青白い顔した祖父が運ばれて行った。

結局、その叔父は、末期のがんだった自分の親父の臨終まで担当医をつとめた。

僕はいなかったが、母から聞いた話だと、病室で祖父が息を引き取るとき、「だめだ!!」と一声叫んで、後ろを向いてしまったらしい。涙が吹き出してきて止まらなかったらしい。「ご臨終です』とは言えなかったと言っていた。言えるわけがない。

そんで、祖父の通夜のとき、棺の前に座り込んで、「お父さん、ヤブ医者ですいません。」とつぶやくように言っていたのを、私は聞いた。

かっこいいなあ、と思った。

そんなおじさんに、会おうと思ったんです。20年ぶりぐらいで。

次の日は、竹田の姫だるまの後藤さんとこの竹楽のお祭りも待っとりました。

今日の一曲
DR.HOOK Years from now

2005年11月25日(金) 九州横断〜竹田〜
20年ぶりに会った叔父さんは、さすがに年をとったが、相変わらずエネルギッシュだった。
70歳になる今も、メスを握っているそうだ。

「りょういち。ふぐのキモ食いに行くぞ。」と、しきりに誘われたが、竹田で、人を待たせていると、辞退した。

「じゃあ、今度親父とおふくろ連れてこい。みんなにごちそうするから、ふぐのキモ。」

ふぐのキモにかなりこっているようだ。この病院、もう一人の切れ者の叔父が事務長を
やっていて、兄弟二人三脚で、ここまできた。顔を見れて安心した。

安心したのはいいが、ちょっと長居をしすぎた。

竹田で我々を待っているのは、きべとしお。

この書き込みにも度々登場する、僕の高校時代の同級生。映画仲間。現FM熊本のプロデューサー。朝花と1/6の夢旅人のPVの監督でもある。

今回も、仕事ではなく、あくまでボランティアとして、ここから先の、ライブの映像収録を引き受けてくれた。膨大な撮影の機材を一人で担いで、電車でやってくる。

そんな、親切なやつを、結果的に3時間も待たせることになった。

僕らが先に向かったのは、姫だるま工房。国道十号線から、五十七号線に入り、玉来の交差点を左折すると、テレビで、DVDで見たことのある立体交差が見えてきた。ここを訪れる、多くの巡礼者が抱くであろう感慨に同じように浸りながら、細い道を奥に進むと、あった!後藤さんが外で待っていた。

クリックで大きくなります。想像していたより幾分コンパクトな工房にお邪魔させてもらう。奥では、お母さんが、顔を描いていらっしゃった。

壁に貼ってある日本地図には、無数のピンがさしてある。じぶんがやってきた場所に、血液型別に色分けされたピンをさしていくんだと。

九州であの番組が始まった影響で、熊本にもいっぱいピンがあった。

これだけの数の来訪者の相手をしながら、だるま作りをやって行くのは、さぞ大変でしょう。(僕たちがいる間にも、一人男性が訪ねてきた。)と聞くと。

クリックで大きくなります。「いや、これも何かの縁だから。こんな不思議な縁を大切にしないと。」と後藤さん。

どうでしょう聖人と呼ぶにふさわしい懐の深い人柄。あやかりたい。

そんで、後藤さんがわざわざとってくれた、知り合いのやってる民宿風お洒落温泉旅館に、荷物を置いて、竹楽の会場へ。

「お前ら遅すぎ。機材に囲まれて身動きできねえし、さみいし、やることねえし、こっちはわざわざ休みとってなにしてんの俺は?」

ご立腹のきべ君。ごもっとも。

今日は、温泉ゆっくり使って、おいしいもん食べて、あんたが主役だからと、なだめておだてて、リハーサル。もう4時になっていた。

斜面の多い町並みをなぞるように、並べられた2万本の竹の灯籠。斜めに切られた切り口に、ロウソクが揺れている。

会場は、お寺のりっぱな門の下だった。ステージにはストーブが三台囲むように置いてある。寒いんだこれから夜にかけて。

一度目の本番は、6時。だったかな。1/6のスローバージョンから始まった。かなり強烈なライトに照らされていたので、前が全く見えない。遠くの方に、竹灯籠の灯が見える。そこに、僕の声が溶けて行く。寒い。寒い。ストーブ三台でも寒い。客席は...想像したくない。

エレンディラをやった。歌いだしは「教会の鐘鳴り響く晴れた日曜日。」

ここは夜のお寺。ボーダーレスな夜。別に違和感はない。指の感覚がない。2002で、ピックを落とさないようにするのが精一杯だった。それでも、あの竹田の山寺の凛とした空気に溶けて行った自分の声は気持ちがよかった。

夜になって、後藤さんに案内されて見た竹の灯りは美しかった。古い町並みが楕円形の乳白色の模様で彩られ、その間を、人波が静かにながれてゆく。

まだ始まって4年目とは思えない、ゆかしい祭りでした。

その夜、さっきの旅館で温泉に入り、私ら4人で雑魚寝。といっても、たっぷりとした中二階がある部屋で、きべ君はもちろん、一番大きなダブルベッド。休日に最も働いた男。

明日は早い。母校桜山中でのライブ。午前11時には始まる。午前中に歌うの何年ぶりだろう。声は出るんだろうか。

今日の一曲
妹よ かぐや姫

2005年11月29日(火) 九州横断〜熊本〜
クリックで大きくなります。母校桜山中に着いたのは、9時半ぐらいだったっけか。

正門があったと思っていたところに門はなく、知らないところに入り口があった。
会場の体育館も、僕らの頃とはまるで違う立派なコンクリートの建造物になっていた。

これもきべ君に手配してもらった、P.Aの人たちがセッティングをしている模様。ここから、1/6のP.Vでお世話になった、カメラの松崎君が合流。熊本のラッセルクロウ。

んでもって、やってきた。今回のライブの企画者。高校時代の同級生、酒匂士郎教諭。
この桜山で、美術の教師をやっている。今回、芸術鑑賞という枠で、私のライブを生徒と、地域の方々で見る、という企画。

芸術鑑賞。 だいじょうぶか?

ふとステージの裾をみると、花で飾られた板に、「お帰りなさい桜山へ 樋口了一さん コンサート」といかにも生徒手作りの文字が踊っている。

突然、妙に緊張してきた。軽い気持ちでやってきて、さらっとやって、んじゃねって帰るつもりだったのに、歓迎ムードが高まってる。なんか含蓄のある教訓を垂れねばならんのか、生徒に夢と希望を与えるような...

やめた。無理はいかん。

楽屋にも、生徒の手書きのメッセージが、黒板に描いてあった。なんかだんだんうれしくなってきた。いつもどおりやろ。

11時になり、生徒が入ってきた。がやがやと、話し声が響き始める。おお、なんか懐かしい雰囲気。半ドンの土曜日の沸き立つ感じ。

校長先生の挨拶につづき、PTA会長さんの挨拶。うわあ。ちゃんとしちゃってるよ。だいそれたことになっちゃってるよ。いいの?おれで。

んで、酒匂君に呼ばれて、入場。宇宙から帰ってきたかのような、拍手で迎えられる。
野口じゃなくて、樋口ですいません。

壇上から見渡すと、思っていたより少ない。僕の頃、一学年5クラスだったのに、今は2クラスなのだそう。しかし、生徒ひとりひとりの顔がしっかり見れるくらいの感じでよかった。

一曲目、ゴッホ。音楽で飯食ってこうと決めて、熊本を脱出して、東京でてってのいろいろを歌った曲。

こんかい、MCは熊本弁でいこうと決めていた。

しかし、故郷を離れて、はや20年。なかなか思うように出てこない。が、しゃべってるうちになれてきた。

何をしゃべろうと決めていた訳でもなかったけれど、生徒の顔を見てるうちにいろいろ思い出すことがあった。

思えば、僕は中学二年のときに、音楽で飯食ってこうと決めたのだ。なぜだかいまだにわからない。

別になんか楽器が弾けた訳でもなく、歌がうまかった訳でもない。でも何故かそう決めた。それで、その前の年に、ビートルズ映画の3本立てがやってきて、一夏に5回見に行ったこととか、ギターを手にするために、ニコニコドーのパンダスタンプっていうクーポン券を必死で集め始めはじめたりとか、レコードにあわせて、ブリキのゴミ箱に頭突っ込んで、歌の練習していたこととかが、芋ヅル式に思い出されてきた。

SMAPの言えばよかった って曲をやる。

この曲も、当時仲良かったけど、どうしてもそれ以上いけない女の子との関係を歌詞にしたんだった。そうだった。

おもいだすまま、そのままを、ぎこちない熊本弁にのせて話す。やっぱり、実体験に勝るものはない。生徒も、興味深そうに聞いてくれているようだった。

水曜どうでしょうってしってますか?って聞いてみた。こっちでは、金曜の深夜にやっている。数人が手を上げた。2年前来た時は、まったくいなかった。僕のいとこの息子も2人いて、手を上げていた。遠く北海道から、やっと九州上陸したんだなあ。1/6を自分の母校でやるっていうのも、不思議な気分でした。

んで、凌雲高校の応援歌、OVER THE CLOUD。旭川で生まれたこの曲を熊本の中学校でやる。なんかだんだん自分が、種を運ぶタンポポの胞子のような気分になってきた。

悪い気分じゃない。伝道ですよね、後藤さん。

だんだん盛り上がってきたので、調子に乗って、ジャンボリーの森崎君みたいに、「全員きりーつ」なんて叫んで、「そんじゃあこれからみんながよーく知っている曲をやるので、みんなで歌おう。」と、最後にはじめた、桜山中学校校歌。

一番しか覚えてなかったのを、酒匂君に大分までFAXしてもらっていた。

ただやるのもつまんないんで、8ビートのロックな刻みで「雨上がりの夜空に」風にやり始めたら、生徒がびっくりして、固まってしまった。しょうがなしに途中でやめて、もう一度スタート。それでも、まだ驚きは収まってなかったみたいで、戸惑いつつ歌っている。このままいっちゃおう、と決めて、3番までいっきにつっきった。

あとで、酒匂君に感想レポートを見せてもらったら、この校歌の印象が一番強く残ったみたいだった。自分とこの校歌があんなになるなんて思っても見なかったと。
思っても見なかったことを体験させられただけでも、よかった。先生方はどう思われたのかわかりませんが。酒匂君は喜んでいたので、とりあえずよかったんじゃないか。

最後に、生徒と一緒に集合写真を撮った。なんか先生という職業の、おいしいとこだけをさらって、体験させてもらったような気がした。申し訳ないっす。

この日のライブが、生徒の心にどんな風にファイルされたのか、将来どんな風に、思い出すのか、不安でもあり、楽しみでもあります。さらっと忘れよう。

とかいいながら、実はもう一本仕事が・・・

今日の一曲
POLICE 高校教師

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